常夜燈索引

                    

 紬発祥地久米島の現在
 (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)2月1日第375号) 

▼建武の中興の折り政治刷新を目的として後醍醐天皇が掲げた旧領回復令、寺領没収令等々の中に過差停止の宣旨があった。過差停止とは贅沢禁止令のこと。権威に反撥し奢侈な立ち振る舞いをする婆娑羅が増殖し始めており、この風潮に水を差す狙いがあった。足利尊氏も建武三年の『建武式目』で同様の禁止令を出したが効果少なく、華美な衣装で階級を否定する婆娑羅がやがて戦国時代の下剋上に繋がっていく。贅沢禁止令はその後も何度か発布されているが目立つのは江戸期に幕府及び各藩が数十回に及んで発布した法令類。寛永二〇年(一六四三)の土民仕置覚、寛文三年(一六六三)の女中衣類直段之定では細目に亘り衣類の材質、色調に厳格な制限が与えられた。時代年代により内容に差があるが、例えば農民は木綿に限るが農民の妻及び名主は紬(つむぎ)の使用を許可、一般町民は絹以下、下女、端女は布または木綿の着用と定められた。
 こうした状況下で持て囃されたのが紬だった。絹であって絹でないその渋い色合いが風流人の心を射止め、紬を着こなすことが粋の証とされるようになる。結城紬や大島紬等の高級品は今日数百万円超の値を付けているが、如何に高価でも紬を着て正式な場に臨むことは許されない。飽く迄も野良着であり遊び着を洒落て着こなすことが粋とされてきた。
▼玉繭や屑繭或いは絹真綿から手撚りで紡いだ紬糸を縦糸、横糸或いは双方に用いて平織りした織物が紬だ。紬の生産地は結城、奄美大島を筆頭に南部、米沢、牛首、信濃等全国に及ぶ。紬を粋人が好み高価な商品とされた江戸期には女性達は寝食の刻を削って紬を織った。
 紬の発祥は琉球久米島にある。南北朝時代の一四世紀末に久米島に明の漂流民が辿り着き、堂之比屋がこれを助け後に比屋自身が明に渡り養蚕技術を学んで帰国したとされる。堂とは久米島仲里村の地名で比屋とは跡継を意味し、堂之比屋とは堂集落の複数の男衆とされるが、宇江城の城主だった堂之大比屋個人を指すとの説もある。この記録は久米島具志川の上江洲(うえず)家の家譜『美済姓(びさいせい)家譜』や友寄家家譜『平姓家譜』だけでなく、一八世紀に編纂された『琉球國由来記』にも記されており信憑性が高い。然し同書には元和五年(一六一九)に越前の坂本宗味が久米島に養蚕、製糸技術を教え、さらに寛永九年(一六三二)に薩摩の酒匂四郎左衛門が紬の技法を伝授したとも記す。
 久米島には旧石器時代から人が居住したが記録上は『続日本紀』和銅七年(七一四)球美(くみ)人来朝が最古。源為朝が琉球に流された一二世紀以降に平仮名文化が行き渡り、一五世紀初頭には琉球王国が統一されたが、その後なお百余年に亘り久米島は独自の王朝を保っていた。その久米島も永正七年(一五一〇)に琉球軍により制圧される。琉球王朝が久米島に課した租税は重く島民は税の七割を紬で支払った。慶長一四年(一六〇九)に琉球は薩摩の支配下に入り紬は貢納布として納められるようになる。江戸期を通じ久米島で生産された紬のほぼ全てが納税品として江戸や上方に出回り、琉球紬の名で重宝がられた。明治三六年に貢納布制度が終わり島民は初めて自らの経済活動として紬を織るようになった。紬一つを取ってみても、久米島が有史以来日本と大陸の狭間で呻吟してきたことが理解できるが、島の民は南国特有の明るさと強靭な精神力を保持している。
▼久米島は沖縄本島から約一〇〇キロ西方にある。那覇から飛行機で三〇分、フェリーで三時間弱。一月中旬に久米島に向かったところ那覇空港は異常な緊張感に包まれていた。見ると滑走路には民間機の間に空自南西航空団F15戦闘機が五機待機中。民間機が飛び立ち離陸許可が下りるや間髪を入れず五機が火を噴きながら轟音と共に離陸。軍と民との空港共有には、危うさを感じざるを得ない。
 久米島紬の里ユイマール館を訪ねると、こちらにも緊張感が漲っている。昨年一一月末、天皇皇后両陛下行啓の際、皇后陛下が久米島紬に感激され御所望になられ、今春に数反を献上の予定で目下機織りの真最中。久米島紬は伝統の製法に基づき糸紡ぎ染色から最終工程まですべて一人が行なう。最低でも三ケ月ときに半年はかかるという代物。嘗て娘たちは紬を抱いて寝るといわれたが、丹精籠めて織り上げた紬を慈しむ気持ちは格別だろう。
▼陛下は皇太子時代を含め九回沖縄を行啓、昨秋は「全国豊かな海づくり」に臨席されその帰路久米島に立ち寄られた。久米島に皇族が足を踏み入れるのは今回が初めて。島民八三〇〇人に五〇〇〇本の日の丸小旗が配られ空港には小学生が総出でお出迎えした。
 陛下が訪問された海洋深層水研究所を訪ねてみると轟音が響く。見上げるとF15戦闘機の編隊が曇天を斬り裂き瞬時に視界から消えて行った。
 那覇から四二〇キロの距離に尖閣諸島が浮かぶ。那覇と尖閣を結ぶ直線上に久米島があり、那覇空港を緊急発進した戦闘機はいつも久米島上空を越えて飛ぶのである。    (黄不動)