常夜燈索引

                    

 支那渡来妖狐の毒息
(世界戦略情報「みち」平成25年(2673)2月15日第376号) 

▼最古の説話集として知られる『日本霊異記(日本国現報善悪霊異記)』は薬師寺の僧景戒が著した書で全三巻一一六話から成り、延暦六年(七八七)に初稿本が編まれ弘仁一三年(八二二)に完成したとされる。古くは五世紀中葉の雄略天皇御代に始まり九世紀初頭に至る物語で、舞台は上総国から肥後国迄の広範囲を網羅し登場人物も貴賎を問わず多岐に亘る。説話集であるから因果応報譚が中心だが性愛説話や異類婚物語も見られる。異類婚の一つで狐の名称由来譚として知られる狐女房伝説も本書の第二話「狐を妻(め)として子を生ましめし縁」が原典である。
 美濃の男が妻とすべき女性を求めて馬を進めると広野に一人の美女が立ち媚びる振る舞いをする。男が問うと女は「能(よ)き縁(えに)を覓(もと)め将(む)として行く女なり」と答えたので、自分の妻になれと連れ帰る。やがて女は妊娠して男児を産むが、稲を脱穀しようと臼小屋に入った時に飼犬が女に襲い掛かり、女は垣根の上に飛び逃げ狐の正体を現わす。男はこれを咎めること無く「吾は汝を忘れじ。毎(つね)に来(きた)りて相寐(ね)よ」という。この言葉に従い女はその後も毎夜男と寝床を共にした。狐という言葉はこの「来つ寝」により生まれたと説く。
▼狐が登場する物語は数多い。「葛の葉」として知られる浄瑠璃や歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』に登場する信太妻もまた雌狐であり、安倍野の保名に娶られて晴明を産んだとされる。狐から産まれた陰陽師安倍晴明が活躍するのは一〇世紀だが、日本では遥か昔より狐は神聖視されてきた。伏見稲荷大社に代表される稲荷神社や豊川稲荷に代表される稲荷寺院が全国に広がり信仰されてきた事からも理解できる。稲荷社に祀られるのは宇迦之御魂(うかのみたま)神、別名御饌津(みけつ)神で、狐は稲荷神の御使い、または眷属(けんぞく)とされる。仏教寺院で祀られる荼枳尼(だきに)天は本来ヒンドゥー教の女神だが後に印度仏教に採り入れられ、わが国では狐に乗る女神となり、神道の稲荷信仰と習合する事となった。
 信仰の対象であり崇拝されるべき狐だが日本の古典では『今昔物語』『御伽草子』『宇治拾遺』を初めとして狐に纏わる怪異譚も多い。民話に登場する狐の殆どは人を化かす憎むべき妖狐として登場する。こうした中で最も有名で、王権を倒そうという途轍もない野望を持った妖怪狐の物語が玉藻前である。玉藻前とは一八歳で鳥羽上皇に仕えた絶世の美女という設定だが、飽くまでも物語であり実在した女性ではない。然しその深奥に朝廷転覆を謀る外国勢力も見え隠れして実に興味深い。その概略を『神明鏡』『御伽草子』等によって以下に記してみよう。
▼久寿元年(一一五四)の春、鳥羽院の御所に正体不明の美女が現れる。名を化粧前といい四書五経に通じあらゆる故事来歴を理解しており、忽ち上皇の寵愛を受けるようになる。久寿元年といえば第七六代近衛天皇が一六歳、鳥羽上皇五二歳の話だ。晩秋のある夕、詩歌管弦の宴が催されたが突然の風が吹き荒れ燈火が消えて暗闇になってしまう。然し上皇の脇に侍っていた化粧前の身体から朝日の如き光が放たれる。この光を見て、才覚が優れていたのは前世の善行によるものと断じた上皇は感激し化粧前を改め玉藻前という名を与えるが、その後上皇は重い病に罹る。典薬頭は上皇の病は尋常なものではなく悪霊に起因すると判じ、邪気物怪を調伏するために陰陽頭安倍泰成を招聘する。安倍泰成は当代随一の陰陽師とされ、一説には安倍晴明の子孫ともいうが真偽の程は不明。その泰成は上皇の病の原因は玉藻前にあると評定し、女の正体は天竺天羅国から支那に渡り那須野に棲み着いた八〇〇歳を越す雌狐と見破る。泰成が泰山府君を執り行なうと、玉藻前は御所から忽然と姿を消し上皇の病も平癒に至る。しかし、物語はこれで終わったわけではない。東国の二人の武将に那須野の妖狐退治の院宣が下され、両武将は苦心の末に妖狐を射殺し骸を都に運ぶ。その体内から仏舎利が、額からは夜を昼の如く照らす珠が、尾からは白と赤の針が出たという。仏舎利が王権の象徴かの様に描かれたのは記紀神話の八岐大蛇伝説を意識しての話とも読める。
▼以上は『玉藻の草子』に描かれた物語であり、歴史的事実ではない。しかし玉藻前が討たれた翌年に近衛天皇が一七歳で崩御し、次の年には鳥羽上皇も病没。摂関家では前関白藤原忠実と次男の左大臣頼長が忠実の長男関白藤原忠通と争う藤原家の内紛が起き、鳥羽上皇の后であった美福門院徳子が絡み、やがて上皇と天皇、摂関家そして源平の武士等が骨肉相食む保元の乱へと進展する。これが平治の乱に繋がり武士が台頭する時代を招く。
 国家の体制が激変する時期に、恰もその背後に支那渡来の妖狐が絡んでいたとする物語が創作された理由は何だったのか。玉藻前の本体は那須野に棲み着いた九尾の狐で、退治された後も災厄を生し至徳二年(一三八五)に源翁和尚により成仏させられた。それでもなお、復活の刻を覗い毒の息を吐き出すことがあるという。支那渡来の毒息は今日なお振り撒かれているやもしれぬ。         (黄不動)