常夜燈索引

                    

 伊藤博文暗殺事件の深淵 上 
     (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)3月1日第377号) 

▼猿飛来(さつぴらい)は北海道の札比内と同じくアイヌ語の涸れた川「サッピナイ」が語源とされる。前九年の役で源頼義、義家父子が安倍貞任征討を祈願し屯ケ丘(たむろがおか)八幡宮に社を建立した折り駒ケ嶽(栗駒山)から猿が雲に乗り短冊を咥えて飛んできたことから、この名が付けられたとの伝承が地元に残る。仙台藩猿飛来村は慶應二年に近隣一帯と呼応し大規模な百姓一揆を起こし荒廃。その二年後には仙台藩主伊達慶邦(よしくに)が薩長軍に降伏し宇都宮藩取締地となる。三年後の明治三年に胆沢県、翌年には一関県、さらに一ヶ月後に水沢県の管轄と目粉しく変遷。その間に村々の統廃合も行なわれ地域民の疲弊は頂点に達する。加えて明治六年には地租改正により租税が物納(米)から現金とされ農民の負担は増大し土地を手放す者が相次いだ。明治九年に宮城県に編入された猿飛来が安定したのは、明治二二年の町村制施行以降とされる。
 自作農千葉新吉の三男千葉十七(とうしち)が猿飛来で産声を上げたのは明治一八年一月一五日、陰暦明治一七年一一月三〇日だった。名は陰暦から採られたもので、十七が尋常小学校に入学したのは明治二四年。教育令改正から既に一二年が過ぎ、四年間の義務教育は無料だったが、僻地では教師も学校も不足し尋常小学校と雖も寺子屋同然。高等科は有料となり隣町迄二里を四年間徒歩通学。高等科一年で日清戦争時の国威高揚を体験した三男坊の夢は軍に入隊し出世を続け特務曹長(准尉)迄上り詰める事。徴兵令規定の満二〇歳を待たず一七歳で甲種合格を果たした十七は両親の勧めに従い二〇歳で入隊するや憲兵を志願。四年後の明治四二年には憲兵上等兵として旅順の関東都督府陸軍勤務を命じられる。
▼大日本帝国が韓国を併合したのは明治四三年八月だが、韓国を保護国としたのはその五年前の明治三八年。初代総監は伊藤博文。併合に消極的だった伊藤は明治四二年四月に併合派の桂太郎首相、小村壽太郎外相との三者会談で併合を是認。翌五月に韓国総監を辞任し四度目の枢密院議長に就任。同年一〇月満洲視察の名目で哈爾濱(ハルビン)に向かう。目的は露国蔵相ココフツェフと韓国処理及び満洲鉄道問題に関して意見交換を行なうことにあった。
 同月二六日午前九時に哈爾濱駅に到着した伊藤は出迎えの露国蔵相と三〇分の会談後、駅構内で露軍儀仗兵を閲兵し居並ぶ各国外交団と挨拶を交わして在留邦人団に向かって歩を進めた。その時、露軍後方から近づいた斬髪洋装の青年が拳銃を数発発射。四メートルの至近距離から銃弾を浴びた伊藤はその場に倒れ、直ちに停車中の貴賓車に運び込まれ救急処置を施されたが間もなく死亡が確認された。
 伊藤公が哈爾濱駅頭で狙撃され午前一〇時に薨去せられたとの緊急連絡を受け旅順の関東都督府陸軍は厳戒体制に入る。清国領土内ではあるが哈爾濱は露国管轄下にあり警備責任は露国警察にある。警備容易な駅構内で韓国青年一人が狙撃したと聞いて千葉十七は愕然となると同時に憎悪の念がこみ上げ吐き気を催す程だった。翌二七日夜も明けやらぬ早朝、憲兵大尉日栄賢治以下一二名に哈爾濱行きの命令が下る。任務内容を聞かされぬ儘列車に乗り込んだ千葉十七の運命は此の時から思わぬ方向に動き出した。哈爾濱から狙撃実行犯安重根及び共謀容疑者八名を護送した後、旅順に於ける裁判から死刑執行までの五ヶ月間、千葉は看守として唯一人安重根を見守り続け、死後も合掌を続ける一生を送ったのである。
▼清国領土内かつ露西亜管理下の哈爾濱駅構内での事件であり狙撃実行犯は現場で露西亜警察に逮捕された。是に対し日本総領事は犯人引渡しを要求する。日本側の主張は、清国においては駅構内は治外法権であり日韓保護条約により日本は韓国の外交権を委嘱されており、韓国外に於ける韓国人保護も当然日本の責任というものだった。露西亜は直ちにこの要求を受け入れ実行犯安重根及び嫌疑者一六名並びに露国官憲が取り調べた調書類一切を引き渡している。
▼伊藤博文暗殺の真犯人は安重根ではないとする説がある。その最大の根拠は『室田義文(よしあや)翁譚』(常陽明治記念会発行、田谷広吉・山野辺義智編)の記述。室田は伊藤に同行し哈爾濱の狙撃現場で自身も銃弾を浴びながらも伊藤の遺体処理に立ち会い右肩から入って心臓手前で止まった一弾と右腕を貫通し臍下に至った一弾を現認。弾丸は仏式騎兵銃のもので安重根のブローニング拳銃弾ではなかった。弾は上から撃ち込まれており駅舎にいた安重根とは別に哈爾濱駅二階食堂から狙撃した人間がいるとする。外交史料館の『伊藤公爵満洲視察一件』と題された綴りにも「凶行首謀者及ヒ凶行ノ任ニ當タル疑アル者」が安重根以外に二四名存在したと書かれている。安重根真犯人否定説の論拠は、単独犯行説は事実掩蔽の為の捏造、さらに真犯人は露国在住韓国人楊成春で事件後暗殺された、また伊藤博文の訪満は極秘裡に進められた事案であり、当該日時に哈爾濱駅で待ち伏せした背後に相応の組織が存在したはず、等々である。 (黄不動)