常夜燈索引

                    

  天皇陛下行幸の神性 
 (世界戦略情報「みち」平成25年(2672)5月1日第381号) 

▼連休初日の土曜日は好天に恵まれ、日頃は人影も疎らな市川市自然観察園一周四キロの遊歩道も賑わっていた。鬱蒼とした林を抜け緑一面の湿地帯に出ると黄菖蒲や坪菫が咲き誇る。何れも五月六月に咲く花だが今年は開花が一週間以上早いという。坪菫の坪とは庭を意味しこの花を詠んだ昭憲皇太后陛下の御歌がある。

  花ながらすきかへされて苗代の
   水田に浮ぶつぼすみれかな


 明治八年初夏のこの御歌の場面が絵画にある。聖徳記念絵画館展示三二番「皇后宮田植御覧」(近藤樵仙画)で、赤坂御苑の水田の景色と解説される。
 明治六年六月に天皇陛下の御座所(おましどころ)とされていた千代田城西の丸御殿が火災で焼失。以降明治一二年に明治宮殿が完成する迄、天皇皇后両陛下は赤坂御苑を仮皇居とされた。当時は赤坂周辺にも田圃が広がり、御用命により近隣の農民が仮皇居内で苗代作りから田植、除草、稲刈を行ない天覧に供した。皇后陛下はこの日雨上がりの午後に女官等と日没迄農作業を御覧になられた。
▼宮内庁によると稲作は先帝陛下が昭和二年に赤坂離宮内水田で始められたのが最初とされ、明治天皇陛下の赤坂御苑の話は公式記録にはない。昭和四年からは皇居内の生物学研究所脇に水田が設けられ稲作を続けられた。先帝陛下は田植から始められたが、今上陛下は農家が実際に行なう様に種籾を播くことから稲作をされている。現在皇居内水田ではうるち米ニホンマサリともち米マンゲツモチの二種類が二畝余作付けされ全て無農薬。脇の畑でも陸稲と粟が育てられ、陛下は御手播き、御田植、御稲刈の行事以外でもしばしば稲の生長具合を御覧なさるという。
 陛下が皇居内で収穫された米は新嘗祭、祈年祭に宮中三殿の賢所に供えられる外、根付稲が伊勢神宮の神嘗祭に供えられる。因みに新嘗祭とは贄(にへ)(供物)を神々に饗(あへ)する大祭で、皇極天皇の御代に始まった。その起源は稲作普及の弥生期に遡り『日本書紀』にも天照大神が高天原で「新嘗きこしめす」と伝え、『常陸国風土記』にも「新粟嘗(にへなめ)」説話が見られる。神嘗祭も神饗(かみあへ)の大祭で伊勢神宮の天照大神に初穂を奉納し宮中でも儀式が行なわれる。
▼古代支那では黄帝の妃が蚕を飼育したが初めて。『魏志東夷伝倭人条』に「蚕桑緝績」の語があり、わが国でも古くから養蚕が行なわれていたようで『日本書紀』には五世紀頃雄略天皇が后妃(きさきひめ)に養蚕を勧められたと記され、古来皇室と養蚕の関係は深い。現在皇居で行なわれている養蚕の形式は明治四年に昭憲皇太后がお始めになられたもの。その感慨を詠まれた御歌。

  いたつきをつめる桑子のまゆごもり
    國のにしきも織りやいづらむ


 明治三八年になると皇太子妃時代の貞明皇后が東京蚕業講習所から純日本種の小石丸を持ち帰られ飼育を始められた。これを香淳皇后が大切に守り続け、現在は皇后陛下が引き継がれる。皇后陛下は毎年五月初旬から約二ケ月間の御養蚕期間には「御養蚕始の儀」、二度の「御給桑(ごきゆうそう)」と「上蔟(じようぞく)」「初繭掻き」「御養蚕納(おさめ)の儀」といった定例行事以外にも紅葉山御養蚕所や桑園に足を運ばれ、御多忙な御公務の合間に作業をなされている。養蚕を詠まれた皇后陛下の御歌も多いがその一つ。

  時折に糸吐かずをり薄き繭の
   中なる蚕疲れしならむ


▼両陛下の御公務として宮殿松の間で行なわれる内閣総理大臣や最高裁判所長官の親任式が知られるが、これは年に一度か二度。国務大臣や全権大使、検事総長等の認証官任命式はこの三年を眺めても平成二二年に一三九人、二三年一〇三人、二四年一〇六人となっている。大使等の信任状捧呈式が年平均三三回、来日された国王、大統領等との御会見が年に約二〇回、各種受賞者や裁判所長官等の御拝謁、茶会等が年五〇回、これとは別に赴任大使・帰朝大使の御拝謁、御接見等が年一八八人。他に午餐晩餐、勲章親授式、また地方行幸啓、戦没者追悼式、被災地訪問等両陛下の御公務は膨大なものになる。これに加え大祭、小祭、旬祭を初めとする祭儀は主なものだけで年二四回。文字通り休む間もない。
 斯様に御多忙な両陛下が四月一五、六日に初めての私的旅行をなされた。東京駅から専用新幹線で長野駅に向かわれ、千曲市のあんずの里と県立歴史館を御訪問。夜は明治期から皇族宮家と近しい長野市内の老舗ホテル犀北館に御宿泊され、翌朝工業技術総合センターを御視察された。この私的御旅行にネット世界は喧しい。母君香淳皇后の追憶説は兎も角、松代大本営跡御訪問説、皇太子御夫妻訪蘭手土産説等々。下賤な衆の勘ぐりは如何ともしがたいが、神性霊性に纏わる話が全く浮上してこない点は些か寂しい。陛下の日常を通観すれば祭儀だけではなく装束、舞楽、御物勅封から歌会始、蹴鞠、古式馬術等全て日本文化の伝統継承にある。先帝陛下も七九歳の時に香淳皇后と私的な箱根旅行を楽しまれた。その玄奥に神格の為す発意が存在したことは明らかで、今上陛下の今回の私的御旅行にも同様の解釈が必要と思われる。(黄不動)