常夜燈索引

                 

 日本人独特の言語感覚と認知能力 
         (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)6月1日第383号) 

▼鬼海弘雄という写真家がいる。昭和二〇年生まれ、法大哲学科卒。トラック運転手、旋盤工、遠洋マグロ漁船乗組員、暗室マン等四〇近い職業を経て写真家を目指し、昭和六二年に写真集『王たちの肖像』(矢立出版)を出版し注目を集める。穏やかな口調の寒河江訛は人生経験の豊かさと相俟って、酒を酌み交わしても相手を飽きさせない。鬼海は三〇年以上も浅草の街を漂い、惹かれる通行人を見つけては浅草寺境内に招いて撮影する。笑顔を作るでもなくポーズを取ることもなく、被写体はカメラの前で己が背負う人生を晒け出し、見る者を慄然とさせる。浅草で撮った一六六人を並べた鬼海六冊目の写真集『Persona』(平成一五年草思社)は土門拳賞、日本写真家協会賞をダブル受賞し、三年後に米ICPと独シュタイデル社から共同出版で刊行される運びとなった。
 写真集を見比べた誰もが首を傾げる。全く同一のネガで印刷された写真の雰囲気が微妙に異なるのだ。白黒写真でありながら三色の黒インクを使用し、日本版と米独版ではインクに微かな差があるが、問題は製版者の視点にある。日本版の焦点(ピント)が甘いわけではないが、焦点精度は米独版の方が高い。被写体が身に付けているウールのベストを見ると、日本版では極細部は朦朧としているが米独版は毛の先端まで緻密に再現される。その故か日本版のベストには温かみが滲み、米独版では寒々とした冷気が漂う。米独版の校正刷りを現地で確認し注文を付けた鬼海だったが、先方の製版技術者は日本版との差を認識できなかったという。
▼昭和五一年のロッキード事件で有名になった対潜哨戒機P3は現在も日米豪独等世界二〇ヶ国の最前線で活躍している。この哨戒機は全地球規模で張り巡らされたソーサス(ソナー監視システム)が探知した海域に急行し、ソノブイ、磁気探知等により目標潜水艦を捕捉、殲滅することを目的とする。航空機としての性能が求められるのは勿論だが、センサー、レーダー、そして何よりコンピュータの処理能力が重要だ。日本では川崎重工が派生型P3Cをライセンス生産し、海自のP3保有数は一〇〇機を誇り世界一という。
 ハイテク機器を駆使しデータの高度処理をコンピュータに頼るP3Cで最も信用されているのは目視による捕捉である。海自の哨戒機乗組員は深度一〇〇メートル超の東支那海に潜る潜水艦を惑うこと無く正確に目視捕捉する。海自隊員より遥かに視力に勝る米豪海軍兵達は場所を指摘されても潜航する艇を見分けることができない。海自隊員と外国の兵との間に視力とは異なる何等かの相違が存在するが、それが何か特定することは難しい。
▼日本人と非日本人との感覚に微妙な差があることは、古くから指摘されてきた。それは「皮膚感覚の相違」という言葉で括られるが、その本質は脳の動きに関係する。これを本格的に研究したのは角田忠信だった(昭和五三年『日本人の脳』大修館、昭和五六年『右脳と左脳』小学館)。泣き声や笑い声、或いは甘えたり嘆いたりする感情の音声を、日本人は左脳で捉え非日本人は右脳で捉える。虫の鳴き声や風の音、川のせせらぎも日本人は左脳で捉え非日本人は右脳で捉える。通常の会話は日本人も非日本人も左脳で捉え、両者とも計算は左脳が行なう。視覚、味覚、触覚は右脳が認識し、立体的な全体像を構築する。左脳と右脳を繋ぐ脳梁では膨大量の情報交換が行なわれるが、音声を認識する際には脳梁を行き交う情報が激増する。肩凝りは日本人独特のもので、声だけでなく全ての音を言語と認識し、意味を理解しようとする事に由来するとの説もある。無論俗説に過ぎず真実か否かは不明。タレントのデーブ・スペクターは日本語を話すようになって肩が凝るようになったと語るが、これも彼独特の作り話かもしれない。
 日本語を話す者だけに与えられた左脳の動きは、遺伝ではない。先祖代々日本に暮らした日本人の子女が幼少時に外国語で生活すると、脳の動きは非日本人のものとなる。逆に先祖代々英国人だった子女が日本語の環境の中で育てば、日本人脳を所有する。日本人と非日本人との差を作るものは遺伝ではない。日本語だけである。
▼かつては歌舞伎を凌ぐ人気を博していた江戸期の大衆芸能に文楽がある。文楽の太夫の語り口、派手に動く人形には誰もが拍手喝采するが興味深いのは太棹と呼ばれる三味線である。文楽の三味線は音曲を奏でるだけでなく、川のせせらぎ、風の音、さらには心の動きまでも音で表わすのだ。ざわざわとする胸騒ぎ、じりじりとする焦燥感が三味の音として表現される。
 日本語は言語学的には膠着語に属する。膠着語とは日本、朝鮮、満洲、ウイグル・カザフ・トルコなどチュルク圏、またタミル、古くはシュメールも含む中央アジアを貫く言語だが、膠着語の中にあって日本語の持つ擬態語の多さは異常で、他の言語の数千倍以上とも一万倍以上ともされる。擬態語にこそ日本語の秘密が隠されているように思えてならない。  (黄不動)