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   メキシコ恐竜土偶の謎 下 
    (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)7月15日第386号) 

▼今年五月に南米沖の海底台地で日本の調査船しんかい六五〇〇が花崗岩を大量に発見。かつてこの海域に陸地があった可能性が高まった。ブラジル政府が「伝説のアトランティス大陸のような陸地が存在した証拠」と発表したため世界中で大騒ぎになったが、これは「アトランティスのような陸地」であってアトランティスではない。今回見つかった花崗岩は数千万年前に陸地にあったもの。六五〇〇万年前に絶滅した恐竜の時代頃に存在した陸地の話であり、その当時の南米は南極大陸と合体した巨大陸地だった。南米が南極から分離したのは三〇〇〇万年前。その後北米大陸と衝突し、パナマ地峡が出来たのは二〇〇万年前のこと。長く孤立大陸だった南米には独特の固有種生物が多い。
 北米に人類が足を踏み入れたのはベーリング地峡経由で約三万年前との説が強いが異論も多い。南米の人類は北米から南下したとの説が一般的だが、日本やポリネシアから海を渡ったとする説や、アトランティス経由とする説など諸説紛々だ。そうしたなか二〇一〇年秋にユカタン半島の海中洞窟から一万年以上前の人骨が発見された。骨に南アジアやインドネシア系の解剖学的特徴が見られ、今後の議論に重要な素材となることが期待される。
▼地球の生物は何度となく大量絶滅を起こしているが、最後の絶滅期は六五〇〇万年前のKーT境界(白亜紀と新生代第三期の境目)とされる。このときの恐竜絶滅はよく知られているが、他にもアンモナイトや二枚貝の多くが絶滅、哺乳類の三分の一の種が消滅し、シダ類の異常繁茂が起きている。一九八〇年代にイタリアの地層から発見されたイリジウムを根拠に、巨大隕石が地球に衝突した結果KーT境界が生まれたとの論が強まり、一九九一年にはユカタン半島北部に直径二〇〇キロのクレーターが確認され、今日では隕石衝突により地球に暗黒化、寒冷化が起き、生物種の絶滅等を招いたという論が定説となっている。
▼ユカタン半島の付け根から西北に六〇〇キロの距離にある田舎町アカンバロから恐竜を象った土偶が掘り出されたのは一九四五年夏だった。その後の七年間で出土した土偶は三万二〇〇〇余。恐竜を象る等あり得ないとの判断からこの土偶は偽物扱いされていた。発掘者の死後、米国ニューハンプシャー州立大の地質学者ハプグッド教授が本物である可能性を指摘。他にも興味を持つ学者等が放射性炭素一四測定や熱ルミネッセンス測定により紀元前一一〇〇年~四五〇〇年という鑑定結果を提出。俄かに話は面白くなり始めた。
 恐竜土偶に興味を持ち現地に飛んで取材した南山宏氏に詳細な話を伺ったことがある。氏は長時間取材の結果、壮大な陰謀でも働いていない限り土偶は本物だと結論づけた。メソアメリカ(メキシコと中央アメリカ)研究者は、二万年前にこの地に人類が登場し、四五〇〇年前に土器を作ったと推定する。恐竜土偶出現は時期的に異常ではないが、土偶は全く異なる五通りのデザインと、その他僅かな雑多種に分類できる。それらが数十から百超といった単位で纏まって埋められていた事が偽物説の傍証とされるが、暴虐の限りを尽くしたスペイン人から守るために、神獣土偶を僅かな時間で慌てて隠したと考えれば納得はできる。今日では直立しないと考えられるティラノサウルスだが、土偶が発見された当時は直立するものと思われていた。土偶に直立ティラノサウルスがあり、これが偽物の証拠との説もあるが、恐竜土偶は緻密な模型ではなく奇妙な怪獣や空を飛ぶ珍獣といった神事の供物であり、寧ろティラノサウルスと特定する事に疑問を感じる。然しそうは言っても明確に恐竜を象っていることは間違いなく、土偶製作者が恐竜を目撃したと考えるのが必然だろう。
▼恐竜がKーT境界を生き延び人類と遭遇した可能性は古くから指摘されてきた。米アリゾナ州ハバスパイ渓谷には数万年前に死滅した古代象に混じって直立恐竜の壁画が描かれているし、インドのデカン高原ビームベトカー岩山にも恐竜の岩絵が存在する。米テキサス州バラクシー川流域の石灰岩質の川床には化石化した恐竜と人類の足跡が存在。一九八四年に旧ソ連科学アカデミーの調査隊が現トルクメニスタンの山中で恐竜と人間の足跡が混在する化石を一五〇〇以上も発見して話題になったこともあった。また、二〇一一年になって竜脚類の一部恐竜が生き延びていた可能性が指摘されている。ニューメキシコ州の盆地から見つかった恐竜化石をウラン鉛法で年代測定した結果、KーT境界後も生存したと結論づけられたものだが、勿論異論はある。
 年代測定技術は絶対のように思われているが、地球が平穏無事に過ごしてきたことを前提としており、常識とされる全ての年代は仮定でしかない。生物史も人類史も、さながら脆い仮定の学説の上に構築された、緻密で壮大な巨大建造物のようなものなのだ。科学的、合理的とされる論が絶対ではないことを肝に銘じておく必要がある。(黄不動)