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  謎の遺構トンカラリン 
 (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)10月15日第391号) 

▼息を止め五感を研ぎ澄まし周辺を窺う。微かな風にそよぐ草葉の音に戦きながら、一キロ四方には猫の子一匹いないと判断し、それでも握りしめた拳に汗が滲む。
 熊本県玉名郡和水(なごみ)町にある奇妙な遺構トンカラリン。小高い丘の頂上部から地溝、隧道等が四六五メートル続き、田畑や人家が点在する清原(せばる)の空地近くに辿り着く。下るより清原から登る方が楽だが、それでも簡単なものではない。最初は石組隧道で天井迄の高さは七〇センチ。途中に小さな階段がある二〇メートルの距離で、両腕を地に付け匍匐(ほふく)前進で辛うじて潜り抜ける。顔も衣服も泥水塗れ。外に出てU字溝を僅かに進むと、待ち受けるのは自然に出来たと土の横穴。続いて横向きになれば何とか擦り抜けられる狭い地峡を越え、雑草が茂るU字溝を走り抜けると、五〇メートル以上も続く暗闇の石組隧道に入る。恐怖に全身の毛が逆立ち、心臓の鼓動と風の音が最大音量となって耳に響く。小さく見えた出口に光が広がり、地表に転がり出て思わず感謝の言葉を口にする。然し遺構にはまだ先がある。
 この石組遺構を訪れるのは今回で四度目だが、入口の清原付近が整備され明るくなった事を除けば、初めて訪れた昭和五二年当時と変わりはない。
▼トンカラリンには口碑伝承が一切存在しない。何時代のものか推測する手掛かりすらない。地元の人間も存在を知らなかった遺構は、昭和四九年から熊本大学の教授陣により調査されたが、排水路説、城の抜穴説、古代祭祀跡説等諸説紛々で未だ有力説が存在しない。歴史学者の井上辰雄は穀霊を祀る場と判断し、磐座や隧道は女陰の象徴と説く。推理作家の松本清張は鬼神信仰の祭祀遺構と捉え、地域の歴史的背景からこの遺構を邪馬台国の卑弥呼の棲家と考えた(『別冊週刊読売』昭和五〇年七月号)。松本清張の邪馬台国説でにわかに注目を集めたトンカラリンだったが、それも一瞬。二年も過ぎると訪れる人もいなくなった。
 昭和五二年に青森で『東日流(つがる)外三郡誌』三部作が刊行され、真贋論争が勃発していた。古代東北の異端史書『和田家文書』の概要は耳にしていたが、新たに編纂された『東日流外三郡誌』に「東日流」をトンカルと読み、トンカルという神の降臨が記述されているのを見た時、弾かれたように熊本のトンカラリンに向かった。それが最初の訪問で、二度目はその半年後、雑誌の取材という大義名分を抱え、熊本大調査隊や教育委員会等を訪ねてみたが、誰もが皆目見当が付かないと及び腰。通りを挟んだ向かい側にある江田船山古墳や穴観音古墳の話題になると、目を輝かせて解説する助手達も、トンカラリンには首を傾げるだけ。現地写真と取材先の話だけで構成された記事は結果として中途半端な内容に仕上がる。欲求不満解消のため、直後の夏休みに三度目の現地取材を敢行するも、返り討ちに合ったようで全く歯が立たず、放り出した儘にしていた。
▼戦後間もない昭和二三年に江上波夫が発表した「北方騎馬民族征服王朝説」は是も非もなくその後有耶無耶になっている。門外漢ながら古代史、考古学に憧憬し、本を読む度に蕩揺していたが、平成に入って間もなく松本秀雄のバイカル湖起源説や根井正利の北方アジア起源説に傾き始める。さりとて心中する程の覚悟もなく、扶餘、鮮卑からシュメル迄、行きつ戻りつなお安定することがない。そんな中途半端故に思わぬ拾い物をすることもある。

又有山曰天哥里干答哈、言天霊山也
(山あり、天哥里干答哈という。天霊山の意味である)
(『元史』巻一二二)

四五百里、有高山廻出、上無草樹、謂其為勃登凝黎、夏言地神也
(四、五百里に高い山が聳え、山頂には草木はない。それを勃登凝黎という。地神の意味である)
(『周書』巻五〇)

 文中の天哥里も登凝黎もトンカリと読み、現代のモンゴル語テングリと同様「天君」を表す。朝鮮民族の始祖神話「檀君」と同一との説もある。突厥では神をトンカレと表す。バイカル湖からカスピ海にかけての草原地帯に共通する音である。
▼六世紀初頭、朝鮮半島南部に向かう大和の大軍を阻止せんと筑紫君磐井が立ち上がった。磐井は新羅と結び九州北部を制圧、大和軍と交戦した。磐井の乱に関しては大和王権の内部抗争説から小規模な叛乱、或いは乱そのものが否定される等諸説あるが、トンカラリンが在る肥後は磐井の拠点だった。
『魏志東夷伝倭人条』に「倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼(ひみここ)と素より和せず、倭の載斯烏越(さいしうえつ)を遣して都に詣(いた)り相攻撃する状を説く」とある。邪馬台国と長期間対立状態にあった狗奴国もトンカラリンの地域と重なる。卑弥弓呼にせよ磐井にせよ、中央巨大権力と争い敗北した勢力。トンカラリンに伝承が残っていない理由はここにあるのかもしれない。
 四度目の訪問でも歯が立たなかったが、こうした奇妙な遺跡、遺物は日本中各所に存在している。それらを丹念に繙くと驚愕の日本古代史が現出する可能性もある。    (黄不動)