常夜燈 常夜燈索引

                  

  横尾忠則と三島由紀夫 
 (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)11月15日第393号) 

▼横尾忠則という画家がいる。神戸や香川県に個人美術館を開設し、紫綬褒章や旭日小綬章を受章する等評価は高い。一方で『私の夢日記』『私と直観と宇宙人』を著し霊的体験やUFOを語る怪しい雰囲気を持つ。横尾は五歳で開戦を迎えたが、当時描いた「武蔵と小次郎巌流島の戦い」という現存する絵からもその類稀な才能が窺い知れる。戦時中の横尾の夢は漫画家になること。高卒後地元神戸の新聞社等に勤めながら絵を描き続け、二四歳で上京。出来たばかりの広告デザイン会社に就職し、鬼才イラストレーター宇野亜喜良と知り合う。翌年独立を目指し銀座で初の個展「ペルソナ」を開くも無名作家の画廊に足を運ぶ客は皆無の状態。そこを散歩中の三島由紀夫が訪れ横尾の作品を絶賛。「僕は終生君の絵を支持する」と表明する。同行していた新聞記者がこの言葉を記事にしたため横尾の名が一躍有名になった。
▼終戦直後の焼野原の中で少年たちは紙芝居に熱中し貸本屋に通った。朝鮮戦争の特需景気、その後の神武景気で世が浮かれた頃には月刊漫画誌ブームが起こり、『少年』『まんが王』『少年ブック』などの雑誌が覇を競った。皇太子殿下御成婚が日本中の話題を浚った昭和三四年の春、『少年サンデー』『少年マガジン』が同時創刊される。月刊誌の漫画が通常六頁、長編が八頁の時代に毎週一〇頁以上を連載した週刊誌に少年たちは度肝を抜かれた。創刊号では講談社のマガジンが川内康範の小説『月光仮面』や吉川英治原作の時代劇漫画を前面に押し出したが、小学館は手塚治虫、藤子不二雄、横山隆一等の漫画で勝負する。結果は小学館サンデーの圧勝。四〇円と三〇円という価格の差がサンデー勝利の原因との分析もある。
 三〇万部対二〇万部と圧倒的な差をつけられたマガジンが逆襲に転じるには相当の歳月を要した。人気少女漫画家ちばてつやを少年誌に起用した昭和四〇年に一〇〇万部発行のサンデーに肉薄、翌年『巨人の星』の連載開始で肩を並べ、昭和四二年末連載開始の『あしたのジョー』で遂にサンデーを抜き去って少年誌の王座に就いた。
▼原作高森朝雄(梶原一騎)・画ちばてつやの名作『あしたのジョー』は大ヒットしたが、原作者と漫画家の関係は相互不信状態。両者の対立は作品設定にも影を落とし、結果として主人公・矢吹丈最大のライバル力石徹を抹殺する。漫画作品中の人物の死に日本中が反応し葬儀が執り行なわれたが、それも当然と思われるほどの作品だった。マガジンの発売である水曜日の深夜、編集部に一人の男が現れた事がある。深夜営業の店等存在しない時代の話だ。仕事が多忙でマガジンを購入する時間がなかった。どうしても今すぐ読みたい、明朝まで待てない、譲ってくれと懇願する男に、マガジン編集部は総立ちになった。そこで頭を下げていたのは三島由紀夫だったのだ。その二年後の三月に起きた日航よど号ハイジャック犯が「あしたのジョー」と名乗った時、三島は何を思っただろうか。
▼少年誌の王座に就いた『少年マガジン』は表紙デザインを横尾忠則に依頼する。横尾がデザインしたマガジンの表紙は全部で九点。その中には勿論『巨人の星』も『あしたのジョー』もあった。横尾がマガジンの表紙を手がけたのは昭和四五年の春以降秋までの間だが、その秋に横尾は動脈血栓を起こして、立つこともできなくなり入院する。左脚付根から切断すると医者に宣告された横尾は、その日深夜に三島由紀夫に電話を掛ける。デビュー以来横尾にとって三島は万能の神だった。泣きじゃくりながらの訴えに三島は冷静に応じる。「わかった横尾君。君の脚は僕が何とかしよう」。
 神である三島の御託宣を受け、安堵していた横尾は翌日昼前から周囲が騒然としている事すら気にならなかった。昭和四五年一一月二五日、午後になって休憩室に担ぎ出されてテレビを見た横尾は、初めて三島由紀夫の自決を知る。その瞬間、横尾の頭に去来したのは「僕の脚はどうなるのだろう」だった。暗澹たる気持ちでベッドに伏していた横尾の許に旧知の編集者が現れる。世間では三島を極悪人の如く扱い、多くが無縁を装う嘆かわしい状態にあるが、貴方だけは何としても弔問すべきだ。首に縄を付けてでも引っ張っていく。その剣幕に横尾は渋々車に乗る。
 三島邸は大通りから細い坂道を登った丘にある。通りで車を降りた途端、長い私道両脇に鈴なりのカメラマンが並び遠慮会釈なくフラッシュを焚く。お洒落で粋を気取る横尾は昂然と頭を上げて狭い道を登り、弔辞を述べた後も肩で風を切る如く車に戻る。それが神様三島に対する横尾流の礼儀だった。病室に戻った時に初めて、立つこともできなかった自分が歩き通した事に気付く。翌朝診察した医師は首を傾げ、血栓が完治した、と告げたのだった。
 横尾の動脈血栓がなぜ治癒したのか。それぞれに回答なり解説なりをされるであろうが、横尾は神様三島が治してくれたと信じて疑わなかった。横尾のその考えに筆者も同感である。(黄不動)