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  朴槿惠反日と金大中事件の深奥 
       (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)12月15日第395号) 

▼朴槿恵(パククネ)大統領の病的な反日言動は、母陸英修(リクヨンス)の死に日本が関与したという疑念から生じているとの説がある。
 朴正煕(パクチョンヒ)の二度目の妻陸英修は一九七四年の光復節に殺害された。在日朝鮮人文世光が朴正煕を狙った銃弾が陸英修に命中したのだ。文世光は事件の一ヶ月前に大阪市の派出所から拳銃を盗み、事件九日前に偽造パスポートで厳戒態勢下の韓国に入国し、事件当日は正装し高級車に乗って祝賀会場に向かう。反朴正煕の過激闘争が展開され厳重な警備態勢が敷かれる状況下、文世光は招待状も持たずに堂々と入場。至近距離から狙撃するが、初弾は誤って自分の脚を撃ち、二発目は全く的外れ。三弾目は不発で四弾目が檀上椅子席に座る陸英修に命中。五弾目は遥か上方の国旗を撃ち抜く。取り抑えられた文世光は在日朝鮮総聯支部長の指令による犯行と自供。年末に死刑に処された。
 事件には多くの疑問が残され、日本の闇社会の関与が疑われた。犯人の入場に政府高官の招待状が使用された等との噂も流された。一方で陸英修を撃った銃弾は文世光の銃から発せられたものでなく、朴正煕警護員による暗殺との説も飛び交った。韓国当局からの追及に対し、日本政府は犯人と総聯との関係は立証できないと結論。韓国における反日感情が爆発し国交断絶寸前に至った。
 二〇〇二年五月に訪朝した朴槿恵は金正日総書記と密談。席上総書記は陸英修殺害に在日総聯が関与したことを認め謝罪したと伝えられるが、密談の中で日本関与が囁かれた可能性も指摘されており、これが朴槿恵の異常なまでの反日言動に繋がるとの説もある。
▼文世光事件の背景として前年八月に起きた金大中拉致事件がある。一九七一年大統領選で六三四万票を獲得した朴正煕に金大中が五四〇万票と肉薄。直後には金大中が乗る車に大型トラックが激突し金大中は重傷、同乗者三人が死亡している。その後韓国を離れ、日米両国に滞在し民主化運動を進めていた金大中が、白昼堂々東京九段のホテルから拉致された。この事件の詳細は韓国中央情報部(KCIA、現国家安全企画部)が実態報告書を作成し、一九九八年に『東亜日報』がその内容を公開した。それによると拉致、監禁、搬送は二五人のKCIA要員、二一人の工作船乗組員の総勢四六名による緻密な計画的犯行で、駐日公使、大使館書記官等が実行部隊として関与。全て韓国人による犯行とする。従前のKCIA内部告発、日本の警察及び米CIAの調査内容と合致し、表面的には事件全容が解明されたと結論できる。李厚洛(イフラク)KCIA部長から李哲煕(イチョルヒ)KCIA次長補に命令が下され、李哲煕が実行の中枢だった事は明確だが、朴正煕が拉致を命じたか否かに関しては関係者が口を噤み、その証言は何処にもない。事件直後実行役に日本人が関与していたとの情報も流布されたが、裏付ける資料も証言も皆無である。
▼日本人関与説の根拠として、ホテルでの拉致と大阪までの搬送が完璧であった事、実行指揮責任者が李哲煕KCIA次長補だった事が挙げられた。李哲煕は陸軍中野学校卒業生で、拉致事件が日韓の中野学校卒業生による合同作業であり、故に完璧な犯罪が成立したとする説が実し(まこと)やかに語られた。事実、中野学校卒の元陸自隊員や元公安調査庁職員の下に金東雲書記官から拉致協力の依頼があったが拒絶したと本人たちは証言する。然し中野学校卒業生が関与した疑念は晴れていない。拉致現場ホテルロビーを関係者二名が歩き回っていた報告もあるが、拉致とは無関係とされる。
 余談になるが中野学校卒業生の中には戦後CIC(占領軍対敵諜報部)やキャノン機関で働いた者も多く、帝銀、松川、下山等の未解決事件への関与説も強い。CIA、KGB、MI6は技術と精神を中野学校に学んだとされるが、最も色濃く継承したのは昭和一九年三月卒業後羅津特務機関に配属された金良賛(日本名・金山正治)とされる。登戸研究所の偽札製造も含め、帝国陸軍中野学校は北朝鮮諜報組織にその遺伝子を残している。
▼話を金大中事件に戻す。大阪南港から日本漁船に擬した韓国工作船に乗せ、日本海に出た処で金大中を海中投棄することが当初計画だった。一九七一年大統領選直後の車両事故も金大中の生命を狙ったものと後に韓国政府が公表した通り、KCIAの目的は金大中殺害にあった。然し金大中を甲板に引き出し、重石を付け海中投棄の寸前に、自衛隊機が照明弾を放ち警告を繰り返したため殺害を断念。工作船は釜山に入港し金大中はソウルで解放された。
 拉致殺害計画はKCIA要員で実行犯の一人だった駐日公使金基完(キムキファン)が米CIAに密告。CIAから自衛隊に出動要請があった結果、最後の最後で未遂となった。金基完は金大中の命の恩人であり、かつ朴正煕体制の裏切者でもある。金基完は直後に家族全員を引き連れて米国に亡命。その息子ソン・キムは一九八〇年に米国籍を取得。現在は駐韓米大使を務める。ソン・キムの父金基完が何者であるか、韓国民は誰もが理解している。(黄不動)