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  中央卸売市場の「武人」たち 
     (世界戦略情報「みち」平成25年(2674)3月15日第400号) 

▼隅田川では旧くから渡船が発達し、最盛期を迎えた明治初期には「橋場の渡し」「佃の渡し」など二〇を超す渡しが存在した。日露戦争の旅順陥落(明治三八年一月一日)を記念して、海軍省が置かれていた築地に「勝鬨の碑が建立され、直後にこの地に登場した渡船は「勝鬨の渡し」と命名された。築地対岸の月島は明治二五年から本格的埋立が開始され、石川島造船所や関連する鉄工場、機械製造工場が林立する重工業地帯に成長。海軍省と月島重工業地域を結ぶ必要性と、昭和一五年に開催が予定されていた日本万博会場への交通路として、昭和四年に勝鬨橋架橋計画が立案された。日本の国力を内外に誇示するために勝鬨橋の設計建造は日本人の手のみで行なわれ、昭和一五年六月、東洋最大の二葉式跳開橋が竣工した。
 大型船舶が往来の際に橋の中央部が跳ね上がる様子を絵本で見た幼い筆者は、親にせがんで実物を見学。全長二四六メートルの橋は中央部五一・六メートルが可動式で、僅か七〇秒で全開する。昭和四三年までは橋上を都電が走り、地方から出てきた大学の同級生に我が物顔で自慢げに解説を垂れたものだったが、時代は船舶を捨て陸上輸送を求め、昭和四五年を以て可動橋の運転は終了した。
▼勝鬨橋のアーチ型薄灰色橋梁には膨大数のリベットが打ち込まれ、その美しさに魅かれて連日カメラマンが押し寄せるが、その傍に建つのは東京都中央卸売築地市場である。大正一二年の関東大震災で日本橋魚河岸等多くの市場が壊滅したため、直後に海軍省が所有する築地居留地に魚市場が開所された。これが築地市場の出発点で、昭和一〇年には市場の原形が完成。戦前には既に世界最大規模を誇っていたが、昭和三〇年以降に更なる拡充が続き昭和五〇年代初期に現在の規模が完成した。市場面積は東京ドームの約五倍、二三ヘクタール。場内の店舗数は変化が激しいが凡そ四〇〇〇軒。築地市場には現在五ヶ所の入口があるが、勝鬨口から場内に入り、鰻の寝床のような長い通路を正門方向に向かって進むと途中で大きな湾曲部に至る。昭和一〇年に汐留から延びた国鉄東海道貨物線東京市場駅のホームに合わせて市場が構築されたためこの形状が残るが、鮮魚輸送がトラック輸送に委ねられ、昭和五九年に貨物線は廃止となった。筆者が築地市場に初めて足を踏み入れたのは昭和四〇年代末。以降月に数度は場内を訪れ市場の活況を堪能している。
▼築地場内が一般客に寛容になったのは昭和末期から平成初期といわれるが、既に昭和四〇年代末には誰でも気軽に入場し商品を購入できた。キロ単位の大口購入に限られ、支払窓口が一般商店とは異なる等の制約はあるが、驚くほど廉価で新鮮な魚介類を入手できる。場内は独特の世界で、人がすれ違うのも難しい狭隘な小路を高速でターレが走り回る。ターレとは通称「ばたばた」と呼ばれる小型運搬車で正式名称はターレット。三六〇度回転、急発進可能、最大時速一五キロで、築地周辺の公道でもよく見かける電気自動車である。手押しの小車も走る場内には、捻ると濾過された海水が噴出する中水道が至る処にあり、音を立てて海水飛沫が舞う。場内を行き交う卸業、仲買人等関係者は気にすることもなくターレを避け水を躱(かわ)す。避ける躱すとの表現は不適切で、武芸の達人の域すら超越した感がある。彼らは自然体で存在し、市場全体と一体化して呼吸し脈動する。一方で、当然ながら異物である一般客の事故は多い。殊に近年カメラ片手の外国人観光客も多く、鮪の頭を抱えて記念撮影と洒落込む最中に飛沫を浴びる者もいる。場を弁えず大声で会話する支那人だけでなく、巨体を揺らし魚に触れる欧米人にも眉を顰めたくなるが、場内の若い衆達は気に留めることなく自然体で受け流す。
 建物の老朽化、アスベスト使用、機能不全等々の理由により築地市場を移転させようとする計画は移転先とされた東京ガス工場跡地の豊洲にベンゼン、砒素、シアン化合物等の土壌汚染問題が発覚するに至って、二転三転する。平成二四年春の都議会でやっと移転が正式決定したが、築地市場に隣接する築地場外市場は残留を決議。平成二八年に向け築地の様態も大きく変わろうとしている。
▼政治経済の世界では劇的構造変化の兆しが囁かれる。支那の「影の銀行」が危険視されているが、量的緩和縮小による米国債の不安定な先行きも世界の金融秩序を脅かす。二月にはウクライナで政変が勃発。三月に入ると雲南省昆明で無差別殺傷事件。世界に怪しい雰囲気が満ちるなか意味不明の出来事も続発。行方を絶った航空機は事件か事故か謀略か。STAP細胞論文は真に紛い物なのか。小人は些細な出来事に身を竦め恐怖に体を強張らせる。ここは、築地場内で働く若衆に見習うべきかもしれない。市場移転を控え彼らは微塵も動じることがない。勝鬨や築地の変遷を武芸家の境地で眺めてきた彼らは、生命体の移ろいを当然の如く受け入れる術を持っている。(黄不動)