常夜燈 常夜燈索引

                  

  再現不可能な実験もある 
   (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)4月15日第402号) 

▼昭和末期から平成にかけて「少年サンデー」誌に連載された『拳児』という作品がある。支那拳法を主題とする格闘漫画で、主人公は幼少時に祖父から八極拳を学び、大陸に渡って様々な拳法を習熟する。ブルース・リーやジャッキー・チェン等によって作られたカンフー人気がこの漫画で頂点に達し、主人公に憧れて拳法道場に入門した若者も多かった。原作は武術家として知られる松田隆智氏。松田氏は示現流や新陰流の剣法、大東流や八光流柔術を学んだ後、台湾や支那大陸で拳法の修行に励み、その体験が『拳児』の下地になっている。格闘技に長け、拳法の歴史や流派の成立を体系的に分類した松田氏の功績は大きいが、何より「勁」に科学的接近を試みた点が評価できる。勁とは相手を倒す力をいい、圧縮された力を瞬時に爆発させる攻撃法を発勁という。発勁は太極拳、八極拳、八卦掌等の北派拳では何れの流派にも存在する門外不出の秘伝。拳法家に纏わる漫画的逸話は多いが、荒唐無稽のように思える物語は発勁の威力の凄まじさを伝える。
▼勁には尺勁、寸勁、分勁、毫勁という分類がある。動作開始から目標打突迄の距離により付けられた名で、尺勁は約三〇センチ、毫勁は〇・三ミリをいう。また明勁、暗勁、化勁という分類もある。明勁とは有形有象、即ち誰が見ても動作が明瞭な勁をいい、暗勁は「形象は有るに似て無きに似る」と表現されるように微少な動きで完結する勁。化勁は無形無象、注視していてもその動きを捉えることが出来ない。触れたか否かの刹那に敵を倒す勁だ。理論上格闘技の打撃力は質量×速度で数値化されるが、速度を得る為には相応の距離が必要となる。痩身で手足の筋肉も僅少に思える老人が、身体に触れた状態から打ち抜く発勁で相手を吹き飛ばす様は、現実に目の前で展開されても信じ難い。
 昭和六二年三月に武術の科学的解析で知られる中部大学の吉福康郎教授が松田隆智氏の寸勁の威力を測定した。コンクリート製の角柱に鉄板を貼り付け、鉄板に加わる力積を計測するものだが、松田氏の寸勁は固定する鉄枠ごと七〇キロの角柱を吹き飛ばした。吉福教授は空手、ボクシング、相撲の突き等格闘技系の力積データを比較し、松田氏の寸勁の数値に驚愕する。寸勁の衝撃力は一〇〇キロ前後で、五〇〇キロ超の空手に敵うものではない。然し寸勁の衝撃持続力は空手の二〇倍に達する。衝撃力と持続時間の積で数値化される力積は、寸勁では相撲の突き押し、空手やキックボクサーの足蹴り等の倍近くになる。北派拳は厚い鎧の上から敵の肉体を破壊するというが、吉福教授の分析はその可能性を認める。
▼寸勁の測定は雑誌「武術(うーしゅう)」が企画。記事を転載しようと松田氏に連絡し、以来数年間緊密な関係が続き、拳法談議等に花を咲かせた。そうした中から気功師の力を測定しようという話が起こり、医療気功で活躍する上海の盛鶴延氏を呼び実験を行なった。広いスタジオの端に気功師を立たせ反対側に女高生五人を並べる。その距離一〇メートル。日本医科大教授立ち会いの下、サーモグラフィを使用し実験を開始する。こちらの指示に従い盛氏は女高生の体に気を送る。右端の女の子の右肩と指示を出すと、盛氏は手を翳し意識を集中する。続いて中央の子の左膝、二番目の子の右胸等、こちらの指示は無作為で、女高生は自分達が何を測定されているか理解していない。それでもサーモグラフィは確実に被験者の特定部位の体温が僅かに上昇する様を捉える。恐るべし気の力、驚嘆の気功師・盛鶴延氏。三〇分程の実験で一時休憩に入る。事件はこの時起きた。談笑している女高生に冗談半分で筆者が念じると、サーモグラフィが反応したのだ。三番目の子の頭、隣の子の腹。どれも確実に体温が上がる。続いてスタジオ助手の若い男性が試みた処、盛氏や筆者を遥かに超えた体温上昇が測定された。別な助手やカメラマン等数人が挑んでみたが反応は起きない。この差は何処にあるのか。サーモグラフィだけでは因果関係の推測は難しい。
▼STAP細胞が話題になっている。発表された当初は生物学の常識を覆す大発見とされ、日本中が沸きたった。安倍政権は最先端科学技術を新成長戦略の柱に置き、理研を特定国立研究開発法人に指定する法案を六月に提出する構えを見せていた。ところが論文に疑義が生じ、四月の理研の発表では捏造、改竄、不正研究といった言葉が並ぶ。これに対し小保方氏が反論したが、誰の目にも圧倒的不利。写真の取り違えに始まり、別マウスの遺伝子が見つかったり、入手不可能な実験装置だったりと散々だ。実験の再現性こそ科学的とされるが、然し生物学の分野では同じ結果を示す実験は皆無に近い。実験者が細胞に向かい気を送ったと考えれば物語として成立するが、超能力者の空中浮揚と同じで誰も相手にすまい。
 国際政治、経済の場で劇的変化が進行しようとしている現在、科学界にも衝撃が走って不思議ではない。今回の事件を教訓に、新たな技術が誕生することを願ってやまない。(黄不動)