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  ブラックホールと『銀河鉄道の夜』 
        (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)5月1日第403号) 

▼大質量・高密度で光も脱出できない天体ブラックホールは、時空が歪められる事象の地平面などと説明されるが、その姿を想像することは至難の業だ。ブラックホールの存在は理論的には二〇世紀末に確定したが、一九七〇年代にブラックホール候補とされた四天体がどのような状況にあるか現在でも不明である。平成二三年九月に国立天文台とJAXAがおとめ座銀河に超巨大ブラックホールを観測、これが世界初のブラックホール位置特定となった。ブラックホールの名はよく知られているが、人類はその広大な領域の入口に立った程度で、実態解明にはなお相当の年月を要しそうだ。
 銀河の中心部には太陽の三六〇〇万倍の質量を有する超巨大ブラックホールが存在すると推定されるが、ペルセウス方向の銀河には太陽の一七〇億倍という途轍もなく巨大なブラックホールがあるらしい。一昨年秋に英誌ネイチャーに掲載されて話題になったが、確定されるのは数年以上も先になる。一方で極小のブラックホールも予言されている。GEA(Gravitational Equivalents of an Atom原子の重力等価物質)と呼ばれる天体で、質量は自動車一〇〇〇台程度。存在は原子より小さく、人体に衝突しても何の異常も感じない。現実に地球は毎日この極小ブラックホールと衝突しているという。

「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」
カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。
ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。
天の川の一とこに大きなまっくらな孔が、どおんとあいているのです。
その底がどれほど深いか、その奥に何があるのか、いくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛むのでした。(宮澤賢治『銀河鉄道の夜』)

▼『銀河鉄道の夜』は大正一三年に初稿が作られ、その後何度か加筆修正され、昭和八年九月、賢治の死後に未完の草稿の形で見つかった問題作で、昭和九年に出版された文圃堂版が初出。その後昭和四九年の筑摩書房版全集刊行の際に細部に亘り検討が繰り返され、初出とは全く異質の作品に纏められた。文圃堂版では重要人物で、ジョバンニが銀河鉄道に乗る原因を作ったブルカニロ博士は筑摩書房版以降には登場しない。本により、また読み手によって作品の雰囲気が全く変わってしまう奇妙な作品だが、『銀河鉄道の夜』は解説が繰り返され、愛読されてきた。
 作品中に登場する石炭袋やそらの孔が暗黒星雲を指すものかブラックホールを意味するものか、議論は尽きない。天の川の暗黒帯や南十字座の石炭袋は肉眼で観察可能な暗黒星雲で、かつては宇宙物理の専門書にも「空の穴」と表現されたこともある。名前から考えても必然的に『銀河鉄道の夜』に登場するのは暗黒星雲だと決め付けたいが、本編を読み込むと簡単に回答できない謎であることも理解できる。
▼ネット上の百科事典として知られるウィキペディアは宮澤賢治を詩人、童話作家と紹介する。一般論としてこの表現は間違っていないが、賢治を識る限りこれは微少な一側面でしかない。賢治は詩人以前に科学者であると自身を認識し、それを構成する哲学者と宗教家が体内に同居していた。一九歳で盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に首席入学し、卒業後は研究生として土壌調査を続行した賢治が学んだ「農芸化学」は、現在ではバイオテクノロジーと名を替え、有機化学、生命工学、分子生物学等々に分かれるが、賢治の科学的思考は要素還元主義や細分化と真逆に向かう。農芸化学の著名人として鈴木梅太郎や星新一が知られるが、賢治の姿勢はこの二人より寺田寅彦、今西錦司、桜沢如一に通じる。
 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団意識と進化する。この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか。(宮澤賢治『農民藝術概論綱要』)
▼賢治が生まれるニヶ月前に岩手県釜石を震源とするM八・五、死者約二万二〇〇〇人の明治三陸地震が発生。誕生五日後には秋田・岩手県境を震源とする直下型の陸羽地震が勃発し、死者二〇九名、一万ヶ所が山崩れを起こし、地域一帯は甚大な被害に見舞われる。賢治は三七歳になった直後の昭和八年九月に急性肺炎で死亡したが、死の直前の昭和八年三月にはM八・四、死者行方不明者三〇〇〇人超の昭和三陸地震が起きている。大自然に対する畏怖の念が賢治作品の底流に存在する理由として地震災害を挙げる学者もいるが、果たしてそれがどれ程の意味を持つか分からない。賢治は二四歳のとき国柱会に入信し、生涯国粋思想に傾倒し続けたが、作品の中に民族主義的な発想は見られず、宗教学者は法華経に賢治の原点を見出そうとする。詩人、童話作家と分類すると同様に、表面的に賢治を理解しようとする者に真実の姿は遠ざかる。賢治は自分の作品をたべものと言うが、印刷し配布を希望した法華経こそ賢治にとって最高のたべものだったのかもしれない。(黄不動)