常夜燈 常夜燈索引

                  

      シンコの季節 
     (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)5月15日第404号) 

▼オバマ大統領が安倍首相に招かれ銀座の寿司屋で会食をしたのは四月末のこと。TPP交渉で牛豚肉関税引下が決定的と報道されたが合意には至らず、夕食会は肉を避ける選択となった。オバマは「人生の中で一番美味しい寿司だった」とコメントを残したが、出された寿司は半分しか食べなかったという。平成八年に来日し宮沢首相から寿司をご馳走されたクリントン大統領は相当量を平らげたのに、寿司好きで知られるオバマは何故半分しか食べなかったのか。安倍に対する厭味だ、高級寿司が口に合わなかったのだと場外解説は賑やかだが真相は藪の中。クリントンが味わった久兵衛もオバマが食したすきやばし次郎も超一流店として知られ、味は間違いなく最高。但し値段を聞けば目の玉が飛び出す。
▼昨年末に和食が世界無形文化遺産に登録されたが、和食は世界中でブームとなっており、この火は当分消えそうにない。
 日本料理店は戦前から欧米にあったが日本人相手のもので、本格的和食レストランが米国に登場したのは昭和三〇年代後半のこと。今日の和食ブームの先駆けは昭和三八年にロスで開業した東京会館のカリフォルニアロールで、寿司職人真下一郎が海苔を嫌う米国人向けに考案したものとされる。昭和五〇年代にはパリにも寿司店が登場したが、医者や俳優、芸術家等の高額所得者層のお洒落の食事だった。一九七七年、米国でマグガバンレポート(食生活指針)が提出され、脂質等の摂取が問題視されるや、健康食として和食に目が向けられるようになる。然しこの当時多くの外国人は、握り寿司とは酢飯に刺身を載せた料理としか認識していなかった。火を使わぬ調理は料理なのかと大真面目に寿司を誹謗する外国料理人がいたほどである。
▼寿司の原形は紀元前の東南アジア山岳部で誕生したと考えられる。鮨の文字は支那最古の辞典『爾雅(じが)』(前五世紀頃)に登場するが、支那の鮨は塩辛の類をいい、乳酸菌発酵を基本とする寿司は東南アジアから直接伝来したとの説が強い。『養老令』(七一八年)に鮑酢、雑鮨の語が記され、『延喜式』(九二七年)に鮨、酢の文字が見られるが、わが国では稲作伝来直後から寿司が親しまれてきたらしい。初期の寿司は乳酸発酵させた保存食「熟(なれ)寿司」で、これが室町末期に「本熟(ほんなれ)」「生熟(なまなれ)」に分かれ、発酵時間を短縮した熟寿司登場を窺わせる。戦国時代には発酵を待たずに酢を使って酸味を得る「早寿司」が出現。握り寿司の登場は江戸中期のこと。川柳の句集『誹風柳多留』文政一二年(一八二九)に「妖術という身で握る鮓の飯」の句があり、これが握りを記す最初の文献である。江戸前握りの最初は両国で與兵衛鮓が売り出した文政七年とされるが、一説には深川六間堀の「松ケ鮨」堺屋松五郎こそが握り寿司の発案者との説もある。
 江戸前とは本来は漁場を指す言葉で佃島周辺をいうが、佃島界隈で獲れた魚介類を江戸前と称する場合もある。これに倣い江戸前寿司とは江戸前の魚介類を供するものとの主張もあるが、一般には握り寿司の総称として江戸前寿司の語が使われる。
▼江戸後期の風物百科事典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』の後巻巻之壱に「江戸はいつ此(ごろ)よりか押したる筥鮓(はこずし)廃し握り鮓のみとなる」とあり、酢種として玉子、海苔巻(干瓢)、車海老、小鰭(こはだ)、鮪、白魚、穴子等が並んで見える。種は全て醤油漬けや酢締め、茹でたり炙ったりと仕込み(下作業)を施したもので、今日でも江戸前寿司は必ず手間を掛ける。種の種類は店によって異なるが干瓢海苔巻、玉子、小鰭、海老は欠かせないものだった。鮪は天保年間に豊漁となり、恵比寿鮨という屋台の寿司屋が扱って評判になったが、有名店では下魚とされ供される事はなかった。鮪は今日でも「仕入れ八割」といわれ寿司職人の技量が問われる事が少なく、良品を仕入れれば旨い鮪寿司を提供できる。一方小鰭は「仕込み八割」とされ職人の腕一つで味が千変万化する。
 小鰭は出世魚の一つでシンコ、コハダ、ナカズミ、コノシロと名を変える。地方により若魚の名が変わり関西ではツナシという。『万葉集』に都奈之(つなし)があり、これが原初の呼び名だったようだ。二、三寸の魚ながら仕込みは大変で、皮を引き頭と尾を外して中骨沿いに開き、腹骨を取り塩を振って酢で締める、と恐ろしく手間暇掛けて仕上げる種である。旬は秋から早春迄、コノシロの漢字「鮗」が時期を表わしている。日本各地の内湾に棲息する魚だが最近では一年中収穫され、築地市場ではキロ一〇〇〇円程度で売買される廉価な魚だ。然し初夏に稚魚シンコ(新子)が登場すると市場も寿司屋も顔色を変える。シンコの市場価格はキロ数万円。一寸程度の稚魚だから一貫握るのに二、三匹は要る。当然、高価である。しかし、江戸っ子は意地でも初夏にはシンコを求めたものだった。五月末にシンコの初物が市場に出て、そして六月には溢れる。今年は江戸の男を気取って初物のシンコでも追ってみてはいかがだろうか。(黄不動)