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  廉洙政枢機卿の開城工業団地訪問 
          (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)6月1日第405号) 

▼第二次大戦に敗戦したドイツの国土は米英仏ソにより四分割され、四年を経た一九四九年五月に東西ドイツが独立を果たした。一般市民一二万五〇〇〇人が犠牲となった最後の戦場ベルリンは、周辺はソ連の占領区域でありながら別途分割統治され、東ドイツ内に飛び地として米英仏共同信託統治領の西ベルリンが登場する。東西ドイツの国境が封鎖された後も東ベルリンから西ベルリンへの往来は自由で、ベルリン経由で東から西へと流出する人間が年に十数万人規模に達し、東ドイツ経済に大打撃を与えた。一九六一年八月にベルリンの壁が建設されたのは労働力確保の須要による。壁は建設当初は有刺鉄線だったが、最終的には鉄筋コンクリート製で中間に幅広い無人地帯を挟む二重構造の壁となった。壁を越えて自由社会を目指した東ドイツ国民は数多いが、その多くは逮捕され、なかには最初の壁を乗り越えた無人地帯で射殺された者もおり、総数は一九二人に上った。
 一九八九年六月のポーランド、一〇月のハンガリーを皮切りに連鎖的な東欧革命が始まり、同年一一月九日にベルリンの壁が崩壊する。同日、記者団の執拗な質問責めに遭い党中央委員会に遅刻した東ドイツ政府スポークスマンが、政令に付加された査証条項や報道機関への発表制限を見ずに「総ての東ドイツ国民は出国が認められる」と生放送で発表。この歴史的勘違いによりベルリン市民は大挙して検問所を突破、未明に壁は市民により破壊された。この背後にライプチヒの聖ニコライ教会で続けられてきた平和祈祷会があったことは深く記憶されている。
▼ドイツ中東部、ベルリンの南西一二〇キロに位置し、欧州を縦横に走る二街道の交差点にあるライプチヒは旧くから要衝として栄え、神聖ローマ帝国有数の商業都市に成長。一二世紀には聖ニコライ教会が創建、今日まで続く世界最古の見本市メッセも開催されている。出版、印刷文化も盛んで一七世紀には世界最初の日刊紙を発行。一九世紀にはナポレオン戦争中最大規模の戦闘が繰り広げられ、その後はパリ、ウィーンと並ぶ音楽の都と名を馳せ、メンデルスゾーンやシューマンが活躍した町でもある。一五一九年七月にはルターが教皇庁側の神学者と討論会を行ない、カトリックとの断絶を決定的にした地だった。ルターを生んだドイツは新教の牙城のように思われているが、実際には旧教と新教の比率は同数で、南部は比較的旧教が強く北部には新教徒が多い。ライプチヒも新旧同率で、最古の聖ニコライ教会は新旧共用教会という異色の形式を採る。
 一九八二年九月から聖ニコライ教会で毎週月曜日に行なわれてきた平和祈念会後のデモは、最初は百人規模だったが徐々に拡大され、一九八九年には最大七万人にまで膨れ上がった。このデモがベルリンの壁崩壊に繋がったことから、ライプチヒは英雄都市と呼ばれる。ベルリンの壁崩壊は歴史の趨勢であり必然だが、背後の象徴的活動には留意すべきである。
▼五月二一日に神父七人と伴に韓国枢機卿廉洙政(ヨムスジョン)が北朝鮮の開城(ケソン)工業団地を訪問した。
 朝鮮半島中央部、南北境界線に接し、板門店から八キロという至近距離にある開城は旧くから商業都市として栄え、一〇世紀以降五〇〇年に亘り高麗(王氏高麗)の都だった。一四世紀に入り李氏朝鮮が現在のソウルに都を移した以降も半島最大の商業都市として賑わい、明治四三年の日本による併合後は京城都市圏に組み込まれて開発が進み、近代都市に生まれ変わった。大戦後三八度線以南に在った開城は韓国統治下だったが、朝鮮戦争開戦直後に北朝鮮が入り、一九五三年の休戦協定により北朝鮮領となった。開城住民の多くは朝鮮戦争時に南北に分かれ、離散家族最多地域として知られる。開城は当初から北朝鮮政府直轄地区だったが、太陽政策の象徴として南北首脳会談で工業地区建設計画が合意され、二〇〇四年には工場が稼働を開始している。
▼開城工業地区で働く北朝鮮労働者は五万人だが、このなかにロザリオ会所属のカトリック教徒がいる。北朝鮮のカトリック教徒に関する資料は乏しく実態は不明だが、平壌にはローマカトリックの長忠大聖堂等計四つの基督教教会がある。大東亜戦争以前には平壌は朝鮮のエルサレムと呼ばれ基督教徒の多い地域だった。金日成の母康盤石(カンパンソク)も敬虔な基督教徒で、金日成の執務室には七つの燭台が置かれていた。
 三月中旬に横田夫妻がウランバートルで孫娘と会い、直後には北京で、更に五月末にはストックホルムで日朝協議が行なわれ、段階的制裁解除、国交正常化交渉が動き始めようとするこの時期に、韓国枢機卿が開城を訪れた意味は重い。朴政権の政治的策略ではなく、深奥にバチカンの思惑を感じざるを得ない。教皇フランシスコが光復節を狙って八月中旬に訪韓予定だが、廉洙政枢機卿の開城訪問はローマ法王の要請があったとの推測も可能。北朝鮮を巡って世界の様々な勢力が水面下で熾烈な駆引を行なっているのである。(黄不動)