みょうがの旅    索引 

                    

  チロルの町ヴェルグルの奇跡
      (世界戦略情報「みち」平成14年(2662)6月15日第142号)

●一九三二年八月一日のこと、オーストリアはチロルにあるヴェルグルという町でひとつの実験がはじまった。
 世界恐慌のあおりを受けて、この町も深刻な不況に喘いでいた。生産は停滞し、工場は次々と操業停止・閉鎖に追い込まれて失業者が町に溢れた。町は破産の寸前だった。
 ここで立ち上がったのが、もと鉄道工夫のウンターグッゲンベルガーなる男だった。彼は町長に立候補して当選すると、大掛かりな公共事業をバンバン始めたのである。
 そのお金はどうしたのか。もちろん、破産寸前の町に公共事業の予算などあろうはずもなく、ふつうなら為すすべもなかったところである。だが、新町長には、ひとつの秘策があった。「労働証明書」と名づけた地域通貨を発行して、これですべての支払に充てたのである。
●もともと山間の寒村だったこの町は、鉄道の開通とともにウィーン・スイス・ドイツを結ぶ鉄道の乗換駅となって、観光産業に活路を見出そうとしていた。新町長は道路の整備、橋の建設ばかりかスキーのジャンプ台など、観光地としてのインフラ整備を町の公共事業として開始した。
 町の人口四三〇〇人のうちの一五〇〇人を駆り出したというから、働ける者はほとんどすべて公共事業に参加したことになる。そして、公共事業に参加した労働者ばかりか町長以下町の職員全員も、給与の半額をこの新規に発行された「労働証明書」によって受けとった。
●その結果はどうなったか? わずか四ヵ月で町はみごとに立ち直ったばかりか、世界大不況のさなか繁栄を謳歌することになったのである。町長の抱負どおり、「労働証明書」がこの繁栄をもたらしたのだ。
 スキージャンプ台は完成し、新しい立派な橋がいくつも架けられ、かつてのデコボコ道路が高速道路並みに整備された。町の通りには洒落た街灯が夜も煌々と明るく輝いている。まさに奇跡が起こったのだ。
●ヴェルグルの奇跡の秘訣は、「労働証明書」に貼られるスタンプにあった。この地域通貨は一種の「老化するお金」で、毎月一%ずつ価値を減らしていく。つまり、一二ヵ月分の升目が紙券の表にあって、月末になるとここに額面の一%相当分のスタンプを町当局から購入して貼らないと、額面紙幣として通用しないのである。
 実は「スタンプを町当局から購入する」という点がミソで、町当局はこのスタンプの売上を公共事業にも参加できない困窮者への救済基金に充てることができたのである。
●それより何より、「労働証明書」そのものが猛烈な勢いで町を駆けめぐり、人々を豊かにしていった事実の方が重要だ。一%のスタンプ代は町への地方税だが、これは紙券を使ってしまえば回避できる。そこで、このお金を受けとった人はできるだけ早く使ってしまおうとする。このため、「労働証明書」という名のお金は猛スピードで循環をはじめて、人々の手から手へ、何と月に一二人もの間を駆けめぐったのである。そして人の手にわたるたびに取引が成立し、町に税金という形で環流してくる。町はまた公共事業にそれを支出する。仕事がどんどんできて、失業者はいなくなる。お金は手に入るが、できるだけ早く使いたいので、お店で物を買う。お店は儲かるから、税金も前払いしたいと言い出す。町はその税金でさらに仕事を創りだす……という具合。
●「労働証明書」なる地域通貨の構想は新町長の独創ではない。実は、シルビオ・ジゼル(一八六二~一九三〇)の「老化するお金」という理論に基づいたものであった。ジゼルはドイツに生まれアルゼンチンに渡って成功した実業家だが、アルゼンチンで滅茶苦茶な通貨政策を体験したことから「お金」について真剣に考え、お金も他の自然の事物と同じように一定期間に価値を減じなければならないと考えたのだった。(つづく)