みょうがの旅    索引 

                    

  新還都論 Ⅰ いざ大和そして飛鳥へ
        (世界戦略情報「みち」平成15年(2663)4月15日第160号)

●先に本欄で満洲民族・満洲語の消滅を憂い、満洲建國の祭儀の行なわれた天壇の現状を案じたことがある。しばらくすると、その心配はわが身にもどってきた。よその国の話ではない。わが日本もいま、日本語を失い、民族としての文明の力を崩壊せしめるかどうか、それとも一大奮起して世界のこぞって拠るべき共生の指導原理を提案できるかどうか、その瀬戸際に置かれているのだと、改めて気づいたからだった。
 試みに思え、神武天皇が肇国の誓いを立てられた、あの橿原神宮の地が外資に買収され、遺伝子組み換え食品会社の工場に成り果てることを。そんな身の毛のよだつような事態もいまや、あながち荒唐無稽の想像ではなくなってきた。
●いまこそ、目先の利便や合理を突き破って、わが日本が日本たり得る本質を正さなければ、日本は亡びてしまうであろう。そのもっとも中核たるべきは、恐れながら申し上げるに、天皇陛下の「まつりごと」にある。明治維新によって西洋風の近代国家の道を歩んできた日本の在り方からすれば、「まつりごと」とは「政」の一字で表わされることを誰しも疑わない昨今であるが、実は「まつりごと」には、もうひとつの重要な面がある。それを一字で表わせば、「祭」である。
 周知のように、憲法によって天皇陛下には「国事行為」なるものが規定されていて、例えば国会の開会を宣言するとか、諸外国への親善訪問とかがそれに当たる。しかし、そうした「政」の領分に属するお役目は、御不豫の場合の慣例にもあるように御名代でも代行できる。
 ところが、もとより下々の関知するところでないので僅かに洩れ承るにすぎないのだが、陛下のもっとも重大なお役目は、天神地祇をお祭りしていただくことである。こちらは、余人によって代理することのできない激務であると聞く。
 もちろん、陛下の御心に従って、御詔勅を携えた幣帛使を立てて各地の神々の下へ派遣することは可能であるし、かつてはそうしたお祭りの仕方が行なわれた。近時、そのような幣帛使の例は、絶えてない。GHQの占領政策により「国家神道」の最たるものとして厳禁されてきたからである。
●神と民との間にあって、民を思い、神をお祭りすることが、歴代の天皇陛下のお役目であった。「民を思う」ことが「政」となって、今日の政治に連なっているのだが、國家としての社稷の中核たる「神をお祭りすること」の方は、陛下に御不自由を強いて久しい。
 ここを正さなければ、枝葉末節をいくら弄くったところで、日本は本来の日本たりえない。ときに自然の猛威にさらされても、神々の恵に浴し、神々と共に生きてきた日本民族の暮らしの中核には、すべての労働が神事であったと喝破した三橋一夫の説にあるように、年中行事としての祭りがあり、さらに日本国中の祭りを支えているのが、歴代の天皇陛下の「まつりごと」だったのである。
●その「まつりごと」という激務を行なっていただく天皇陛下の「宮処(みやこ)」として、関東の地が果たして相応しいかどうか、いま改めて問うべき秋にあると思う。そのそも、陛下が関東まで御臨幸となったのは、倒幕戦において心許ない薩長軍に天佑神助を仰ぐための、いわば戦時非常態勢であった。日露戦役のとき広島に置かれた大本営に御出御になったのと同じである。それが、薩長の不甲斐なさのゆえに、ズルズルと今日まで継続することになったのである。
●ひところ喧しかった首都機能の移転先同士の誘致合戦も、この不況でなりを潜めているようだが、私が言いたいのは、便宜や利便のための首都移転とは異なる。御一新以来、永く御不自由を堪えていただいてきた天皇陛下の「まつりごと」の場として、「宮処」を京都へ、いや、日本発祥の地である大和、そして明日香へと「還都」することこそ、いまもっとも大事な「国事行為」ではなかろうか。