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 洪国ツラン同盟「ツゥルル全権委任状」
        (世界戦略情報「みち」平成17年(2664)12月15日第197号)

●大正三年に来日したハンガリーの民俗学者バラートシ・バローグ・ベネディクの北海道・樺太研究旅行に同行したのが縁となって、ハンガリーに渡り、一〇年間の滞在ののちに帰国するや、日本におけるツラン運動の精力的な協力者となった今岡十一郎[一八八八~一九七三]については、先に少しく紹介したことがある。
 その今岡に対して、昭和一四年(一九三九)一月ハンガリー・ツラン同盟が在外最高顧問「ツゥルル」への就任を要請してきた。
 わが国の建国神話において神武天皇の大和入りを八咫烏が導いたように、ハンガリーの建国の祖であるアールパード王[?~九〇七]がマジャール民族を率いてウラル山脈の南麓より西征の途に就いたとき、茫漠たる大原野の中で道を失って難渋する王の前に、一羽の霊鳥ツゥルル[Turul]が現われて嚮導し、マジャール軍の進撃を大いに助けたという。
 彼我の建国神話に同じように建国の始祖を助ける霊鳥が出現するというのも、不思議の感を禁じえない。深いところで繋がつている共通の何かが存在する証ではなかろうか。
 してみれば、今岡が「霊鳥ツゥルルとは、いわばハンガリーの金鵄である」と解説しているのも、宜なるかなである。ハンガリーの建国の神話に登場する霊鳥から名前をとった最高顧問職への就任要請は、洪国ツラン同盟が今岡へ寄せる「最高敬意の表明」に他ならなかった。
 同時に、ハンガリー・ツラン同盟が今岡十一郎に宛てたツゥルルへの就任要請の手紙は、彼らが日本民族に寄せる、熱い期待と憧憬の念に満ち溢れている。
 今岡はこの手紙を「ツゥルル全権委任状」と呼んでいる。ハンガリー・ツラン同盟の日本國民に対する一切の権限を今岡に委任すると書いてあるからである。

●「ツゥルル全権委任状」
 マジャール民族の神話に従へば、ハンガリーが國難に遭遇し、人間の理性と意思とをもつてしては遂に打開し得ないとき、すなはち國家が右すべきや左すべきやの迷路に陥つたときには、必ずチョダサルヴァシュといふ霊獣(鹿)が現はれて、マジャール國民をその危機から救ひ出し、新しき使命と目標を授けて光明の世界へと導いたのである。
 またわがマジャール民族の原始祖フノール(匈奴の祖)とマゴール(マジャール人の祖)の二人の兄弟は、その昔、中央アジアのツラン草原から文化の光を求めつつ、西へ西へと同胞を率ゐて走つたのであるが、今やわれわれの歷史は一大転換期に到達した。
 すなわち、わがマジヤール民族の進むべき方向は西を捨てて東へ、わが祖先発祥の地、東方ツランの郷土を指して復帰することとなった。しかるに、防共に結ばれたる日本は、皇道の大斾を翳して大陸を西へ西へと急いでゐる。西と東、そして防共の固き契りと共に、この二人の太陽の御子、民族の兄弟は、防共の絆、ソ聯の邉境を辿りつつ、何時か再びその手を握る日が來るであらう……。
   ×
 親愛なる血の同志よ!
 洪牙利國ツラン同盟は、貴下を吾等の同志共鳴者として、また東亜におけるツラン運動の功労者として深甚なる謝意を表すると共に、今後いつさう吾等の組織的活動の中心的協力者となり、ツラン民族精神の昂揚、ツラン精神文化世界の建設のため御盡力あらんことを切望して、今般、本同盟名誉会員、特に在外最高顧問『ツゥルル』に推挙せしに付き、何卒御承認あらんことを懇願する。ツゥルル顧問への推挙は、貴下に対する本同盟最高敬意の表明である。
 蓋し、わが建国の神話において、ツゥルルはマジャール國民を指導し、激励し、しかもわが先祖を表象する霊鳥の名稱であるからである。
 而して貴下をツゥルルに推挙せる実際的意義については、すなわち今後、貴國民と本同盟との関係は、貴下権限内において総て貴下を通じ、あるひは貴下の忠言に従ひ、あるひは貴下推薦の個人または團體とのみ連絡を保持せんと欲するものである。したがつて今後、本同盟より貴國民に対する総ての委任・委託あるひは書類の発送等は一切貴下を通じて、あるひは貴下指定の方法により送付すべきに付き、当方に對しても貴国人の紹介、あるひは貴国ツラン諸團體より当方宛の書類その他の物品に関しても、凡て貴下を通じ、あるひは貴下の推薦によりてのみ送付せしめられんことを冀望する。ツラン兄弟同志の敬禮を以て。ブダペスト市、一九三九年一月一二日、ツラン同盟。(今岡十一郎『ツラン民族圏』三四五~三四七頁、一部表記改変)

●以上に明らかなように、ハンガリー・ツラン同盟はその「建国の神話においてマジャール國民を指導し、激励し、しかもわが先祖を表象する霊鳥」たるツゥルルを在外最高顧問の称号としたが、そのツゥルルに今岡十一郎を推挙して就任を要請したのである。
 これは日本とハンガリーとの掛け橋となることを終生の念願とした今岡にとって、最高の栄誉であったに相違ない。
 ただし残念なことに、日本におけるツラン運動は今岡十一郎や北川鹿蔵、山ノ井愛太郎らの啓蒙宣布活動にも拘わらず、一部の識者に注目されるに止まって、具体的な政治運動にも文化運動にも発展しないうちに、敗戦の非常事態を迎えて頓挫してしまったのである。むしろツラン同盟は、「文明の衝突の時代」を克服して人類の共生・共存のために世界維新を目指す我々にとって今日的な意義があると信ずるものである。
 過去の歷史の記念碑的な出来事としてではなく、未来へ向けた戦略的展望のもとに先達の業績を再評価することが重要なのである。本誌がツラン同盟運動を採り上げる意義も、ここに存する。
 そのために、ツラン運動の志士たちが遺してくれた洞察と叡智とを虚心に学ぼうと思うのである。
 今岡に寄せられた「ツゥルル全権委任状」には、長大な副書が添付されていた。それも併せて紹介したい。副書であるためか、この文章には表題が付されていない。そこで下のように、試みに文中より一句を採って、仮の表題とした。

●「ツランの太陽がすでに昇りつつある」
 洪国ツラン同盟は今から一八年前[一九二一年]設立されたのであるが、内外の政治的圧迫やその他の障礙に妨げられ、今日まで思ふやうに活動することができなかつた。最近やうやく機運が熟し、ハンガリーの朝野にも民族主義が叫ばれるに至つたので、わが同盟も過去の経験に鑑みて改組し、新しき陣容をもつて出発することゝなつた。
 そして本同盟の本来の目的を達成するために、世界中のツラン同胞國家、同胞民族團體、およびツラン的諸團體に一人宛の名誉会員を選び、その人を通じてその地方の各團體と連絡し、その人にその方面における活動の全権を委任することゝなつた。この全権を託された人が、言ふところの『ツゥルル』である。これまでハンガリー国のため、またツラン運動のため多大の貢献をせられたる貴下が、かくのごとき意味におけるツラン民族世界聯盟の日本創立委員としての名誉会員、すなはち東亜における最初のツゥルルの就任を受諾さるゝならば、本会の光栄かつ欣快とするところである。
 元来、洪牙利ツラン同盟の創立者は、東は太平洋沿岸から、西はカールバート山脈に至る欧亜両大陸にわたつて分散するツラン民族の間には、潜在意識的に未来を約束する一つの民族心理・民族意識が澎湃として漂ふてゐることを感知し、これを組織化せんとして本同盟を創設したものである。そして将来、各民族の間に存在する同系民族團體と提携して、ツラン民族世界聯盟を結成することを豫見してゐたものである。ゆゑに、洪国ツラン同盟はいはば来るべき汎ツラン民族聯盟の一創立委員として生れたものである。
 最近ハンガリーにおいても、また他のツラン民族国家においても、民族主義が非常に昂揚されてきたことは事實であるが、しかし、統一的、精神的、汎ツラン的文化運動はいまだかつてどこからも提唱されたことがない。しかし、この組織は、単に東欧あるひは亜細亜だけのものではなく、ユーラシア全體にわたるものでなければならぬ。今や、大民族主義、汎大陸主義の時代はすでに到来しつゝある。民族覚醒の問題は元来わがツラン民族の間から生れたものである。それにも拘らず、その實現に至つては、ツラン民族圏においてもっとも悲しむべき状態にある。
 われわれツラン民族はアーリア民族の真に忠実な伴侶ではあるが、しかし、いかに良き友人といえども、アーリア民族はわれわれツラン民族に魂と精神を與へることはできない。また、われわれの精神生活に適するより良き世界を創造してくれるものとも考へられない。
 ツラン民族圏においては、ツラン的人生観、ツラン的魂、ツラン的趣味、ツラン的リズムの生活、より多彩なる精神文明を発展せしめねばならぬ。われわれの原始共通の民族性は今日もなほ至るところに認め得られる。すなはち、ツラン民族圏においては価値の基礎は土地である。生活は真実の精神的および肉体的の価値そのものにして生活の推進力は自由の天地に育つ個人の労働である。また権利および所有の観念についても、単に空間的に個人および国家をその主体と認めるばかりでなく、時間的に血統および霊の統一体をも認める。例へば、家族、氏族、宗族などをもその権利の主体と考へる。團體生活はパトリアルヒ的[族長指導型]で、家庭の神聖、傳統の尊重を根柢とし、各人に適するやうな機構とし、而してそれは人為的組織体に非ずして自然的組織体である。人間を大衆的に、また機械的単一化するに非ずして、各人の長所を充分に発揮せしむるものでなければならぬ。
 洪牙利ツラン同盟はかくのごときツラン世界の建設を目的として設立され、今もなほその事業を繼續してゐる。もしわれわれがこの運動を繼續しないならば、ツラン民族は西欧的物質文明のために、あるひは覇道的アーリア民族のために遠からず吸収され、消え失せてしまふであらう。かくすれば、ツランの甦生を求めることもできなければ、またボリシェヴィズムの泥沼から脱却することもできないであらう。そして世界の平和も、世界の改善も、ここに至つては絶望の外はないのである。
 ツラン民族の西端に住むマジャール民族は、異民族精神のいかに危険なるものなりやを最もよく感ずると共に、わが民族の本質が西欧のそれと全然異なるものなることを體験上よく知つてゐる。それゆゑにこそ、ツラニズムはわがハンガリーにおいて最も鮮かに結晶したのである。
 ツラン民族といふのは、これまでウラル・アルタイ系として知られてゐた民族ばかりではなく、その古代文明を創造せし民族の後裔をも含むのである。例へば、スメール民族、匈奴族、スキート[スキタイ]族などもこれに属する。その他、東亜の大文化民族を含むことは勿論である。すなはち、単にアジアの自覚せるツラン民族群ばかりでなく、東欧の諸民族、その中にはすでに西欧文明、西欧の血、西欧の言語をも受容れてゐるものをも含んでゐることを承知せねばならない。
 マジャール族はその傳統に従へば、その昔、西と東に離ればなれになつた兄弟族を探し索めつゝ西進し、祖先の遺領を繼承せんとしてツラン原野から現在の地へ移動し来つたものであるといふ。現在の地にはかつてスキート族が住つてゐて、スキート帝国はこゝから遙か東方へ擴がつてゐた。われわれの兄弟族たるフン族もアワール族もすべて、この消え失せたスキート族の民族精神を振ひ興さうとして西征の途についたのである。がしかし、それはすべて無駄であつた。そして最後に、マジャール族が同じ使命をもつて此地に到来したものである。この第三の兄弟民族たるマジャール人がカールパート盆地に来てからすでに一千年も経過する。この間、西欧のため霊肉とも不具者同様に傷つけられたのである。それにも拘らず、わがマジャール民族はそのツラン精神とアジア魂を堅持しつゝヨーロッパ民族の大海中に民族的異彩を放つてゐる。
 われわれマジャール人は建国一千年後の今日、やつとオーストリアの羈絆から脱却し、その民族的使命を自覚し、すでに忘れられたる兄弟族を再認識し、愚かなる眠りを續ける同胞に對し、次のごとく呼び掛けてゐるのである。
我々は東方の同族の膝下へ還らう!
アジアの深淵なる原始創造精神のもとへ!
東にはツランの太陽がすでに昇りつゝある
同胞よ! あの輝き昇る東洋へ!
 このことは、われわれマジャール人の偽らざる気持である。この気持はハンガリーにおいて、われわれと共に永い間、ツラン運動のために奮闘せられた貴下には、よく理解されうるところであらう。
   ×
 元来、われわれの運動は政治を超越したものである。すなはち、ツラン民族の間に精神的の統一世界を見出し、そこに東洋的精神のいはゆるツラン文化圏を建設しようとするものである。ゆゑに、われわれは同族の間に存在する種々なる運動團體の何れと連絡すべきやに就いては極めて慎重なる態度を採ってゐる。同族の者ならどんな人でも、どんな思想家でも受け容れるといふ訳にはゆかぬ。われわれの大使命を理解し自覚して、神の賦与した民族精神を體得し、これを光被することのできる人のみがツゥルルに選ばれるのである。
 かくのごとき個人、かくのごとき團體を見出したる場合にのみ、洪国ツラン同盟はそれと連絡し、その人をわが同盟の名誉会員としてツラン民族世界聯盟の組織準備委員として協力を請ふと同時に、これを全的に支持するのである。もっともこの支持は現在のところ単に原則的なものにすぎない。がしかし、すべての運動の基礎となるものは堅実なる理論と、道徳的の支持にあることを忘れてはならない。 (同書三四七~三五二)

●ハンガリー・ツラン同盟からわが日本のツラン運動の同志今岡十一郎へ寄せられたこの呼びかけは、その本質においてほとんど大和魂の叫びとは聞こえないか。
 とくに傍点を打った箇所をじっくりと味わっていただきたい。
 ツラン同盟の志士は訴える。西欧覇道史観からすれば「蛮族大移動」と蔑まれるツラン民族の大移動は、兄弟民族たる古代スキタイ帝国の遺領を継承するためだったのである。しかるに、フン族もアヴァール族もその悲願を達成できなかった。ひとり第三に登場したマジャール民族だけが兄弟民族の果たしえなかった民族の悲願を実現して、スキタイ帝国の遺領をみごと継承した。
 しかし、西欧異民族に囲まれ、その只中にあって一千年が経過してみれば、マジャール人は「霊肉とも不具者同様に傷つけられ」ていたのだった。
 このように、危険なる異民族精神によってズタズタに引き裂かれながらも、マジャール人はアジア魂を失うことなく、ツラン精神に目覚めて、「ツランの同胞よ、団結せよ」との叫びの魁となったのである。
 彼らが西欧覇道文明を嫌悪し忌諱する気持ちは、そのままにわれわれ日本人の気持ちでもある。
 彼らは言う。「ツラン民族圏においては価値の基礎は土地である。生活は真実の精神的および肉体的の価値そのものにして生活の推進力は自由の天地に育つ個人の労働である」と。それは労働を通して大地の恵みに浴しつつ、大地と共に生きるということであって、利権という永久的支配権を集積していかに労働から逃れるかをもって跼蹐するヴェネツィア的商売文明の理想とは、およそ対極にある考えである。
 またツランの志士は言う。「権利および所有の観念についても、単に空間的に個人および国家をその主体と認めるばかりでなく、時間的に血統および霊の統一体をも認める」のが、ツランの精神であると。このような透徹した洞察は、「個人」という大衆操作のペテンに呪縛されたわれわれの理解からは隔絶しているかも知れない。だが、静かに思え。すると、人が生きることが単に欲望の充足ではなく価値の創造にあるとするならば、ツラン精神の道義の高さが沁みてくるはずである。