みょうがの旅    索引 

                    

       創刊の言葉 
       (世界戦略情報「みち」平成8年(2656)2月15日第1号) 

 昨年平成七年は日本にとって近年にも稀な多事災厄の一年でした。この一年を振り返り、また近年のありさまを考えてみると、日本が静かなる戰爭を仕掛けられ、国家存亡の危機にあることを痛感せざるをえません。
 この危機は一見には危機であるとは見えないことを特徴とします。みずから立って戦わず、この戦争に敗れることが、あたかも日本にとってよりよい道であるかのような宣伝工作が仕掛けられてきたからです。敵はこっそりと静かに、いつのまにか忍び寄ってきて日本を侵蝕しています。
 大方の日本人が気づいたときには、日本とは名ばかりの、御しやすい無国籍奴隷集団になり果てているやも知れません。

もっと快適に、もっと楽しく、もっと自由に、もっと国際的に!

という大合唱に従って生きているうちに、目先の安逸のみを後生大事にして、隣人への配慮も何のその、やがて努力労働の成果によって楽しむだけでは飽き足りず、自分の未来を担保にしてキャッシングで手軽に金を引き出し、ただただ現在を楽しむだけの痴呆人間が量産されています。
 「武士は食わねど高楊枝」というあの矜持は、いったいどこに行ったのでしょうか?
 今日の体たらくにいたった直接の契機は、大東亜戦争の敗北とGHQによる占領政策にあるといえましょう。
 あの八月一五日以来、日本は国家としての原則を放棄し、日本人は人間としての尊厳を喪ったのです。われわれはこの現実を痛恨の思いをもって深く噛みしめるものであります。
 さらにさかのぼって考えれば、国家として戦争に敗北した以上、どこかに戦争敗北にいたる原因があるはずです。明治維新以来の国家経綸に失敗があったと反省しなければなりません。大東亜戦争に勝利していたならば、あるいは看過され讃美されていたかもしれない国家経略の歪みの究明と解決・建て直しが、敗戦後五〇年を経た今日いまだになおざりにされているのです。
 GHQの占領政策は、日本が戦前にもっていた価値観や国家体制の根幹を否定しました。そしてこれに代えるに、民主主義・国際協調主義という一見もっともらしい「普遍的原理」を日本占領統治の基本方針に見せかけました。これが今日も継続し、民族国家日本の屋台骨をますますひどく侵蝕しているのです。
 戦前の日本の国家経綸には、国家としての太い柱がありました。しかし同時に、当時の切迫した国際情勢の中でしたたかに対処していくためには、国家としての機構・戦略にいささか欠陥がありました。
 つまり、これは今日からの後知恵であることをはっきり認めなければなりませんが、日本は戦うべき真の敵をあまりにも知らなすぎました。さらに、軍人たちの横暴・無能・無責任を統制するシビリアンコントロールが、天皇統帥権の干犯を引き起こしてしまうという制度的欠陥もありました。加えて、近代国家建設を急ぐあまりの歪み、富の偏在、不正・不公平、経済生産性の低さ、戦争遂行の過重な負担などが日本人にのしかかっていたことも事実です。そして、多くの尊い命を犠牲にした果てに、日本は戦争に敗れました。
 なぜ、敗れたのか? 日本人自身が深い無念の思いを抱いて真剣に問うことは、GHQにとって危険でした。むしろ敗戦は軍国主義からの再生だと受け取るように誘導されました。
 執念深くなく、変わり身の早いのは、日本人の長所でもあり、短所でもあります。戦勝国によって押しつけられた国際的な善を装った「普遍的原理」を、日本人は素直に信じ、みずから進んで受け入れました。
 その結果、深く考えることもなく、日本人自身によって戦前の日本が悪として全否定され、占領軍は日本の解放者として歓迎されたのです。
 敗戦によって戦争をともかくも終えた日本は、ひたすら経済再建・国民生活向上に邁進しました。とにかく、今日を、そして明日を、食べて生き延びるのが、精一杯だったのです。
 しかし、国のために身命を賭して戦い死んでいった数百万の将兵・市民同胞の死はまったく無駄だったのでしょうか? その貴い犠牲は、生き延びて後に残ったわれわれにいまも鋭く重く問いかけています。

われわれの死は何だったのか? あの戦いは、五族協和のあの理想は何だったのか?

と。
 人が昨日の自分を全否定して今日の自分がありえないように、国家もまた過去を全否定することは不可能です。国のためにみずからの命を捧げた父と兄を、そして母や姉たちの労苦を無視して、国家の存続も人間としての矜持もありえません。それをあえて行なったところに、われわれの今日の浅ましさが懐胎したと言わざるをえないのです。
 「衣食足りて礼節を知る」という格言があります。衣食住の充実はもとより掛け替えのない大切なものです。しかし、原則なき国家日本に生きるわれわれはいま、「礼節ありて衣食備わる」という先人の信念と知恵に学ぶ必要があるのではないでしょうか。もちろんこの「礼節」は繁文礼褥の謂ではありません。人間の意志の源泉であり、国家を経略し、経済文化を創造する原動力としての原理・原則のことです。
 「天に法あり、地に道あり、人に礼節あり」こそ、日本人の揺るぎない信念であったはずなのです。われわれもまたこの伝統に立っています。東洋の国たる日本は、原始縄文時代から成熟した高い文明に則って暮らしながら、その文明を粘土板に刻むことも、甲骨文字に記すこともありませんでした。だが、日本人は数千年数万年以前の早きに、こうした天地の法則を直感し、実践していたに相違ありません。そうでなければ、たとえば近年に発見され世界を瞠目せしめた青森県三内丸山遺跡の縄文時代一〇〇〇年以上に及ぶ驚異の成熟した文化の継続はありえなかったことでしょう。
 徳川二五〇年の幕藩体制の継続も、その根底には日本が長きに培ってきた文明の原理が働いていました。その典型的な事例を、破産寸前だった米沢藩一五万石の再建をみごとに成し遂げた上杉鷹山や、小田原藩領の村々の蘇生に尽力した二宮尊徳といった先人たちに見ることができます。
 明治維新の原動力となった西郷隆盛の敬天愛人の思想は、新しい近代国家日本の国づくりに尽力した当時の日本人に共通した信念であり、このような信念に支えられ、柔軟に列強に学んだからこそ、維新の偉業は達成されたのでした。
 しかし、日本人の根底たるべき信念を忘れて、無反省に西洋の原理と勘違いしたものを信奉したところにわれわれの大いなる過誤がありました。われわれは、西洋なるものをあまりにも知らなすぎたのであり、みずからの文明に無自覚であったのです。
 それが証拠に、占領連合軍の中核をなした米国が日本を援助したのは、広い人道的度量からではありません。すでに戦前に用意されていた東西冷戦構造・ブレトンウッズ金融体制という戦後世界戦略の下で共産主義の脅威を巧みに喧伝しつつ、反共自由陣営の一員として日本を位置づけ、米国の納税者が営々として築いた富を連邦準備制度をはじめとするペテンによって簒奪し、その一端を以て餓死寸前の日本を援助したのです。
 しかし、日本に対するこの援助が実は、米国の人心・産業を破壊するための、英国のRIIAおよびタヴィストック研究所による遠大な計画の一部をなすものであることなど、日本人には思いも寄りませんでした。
 日本は朝鮮戦争・ヴェトナム戰爭とつづく世界戦略の中にガッチリ組み込まれ、アジアのひいては世界の工場としての位置づけにより、貿易立国を国是として、ひたすら経済発展の道をたどることを許されました。そして日本の後には、韓国と台湾が続きました。
 日本とはじめとする韓国・台湾の経済発展は、各民族の創意努力がなければ達成されなかったことはもちろんです。しかし、第二次世界大戦を用意し、戦後の東西冷戦構造・ブレトンウッズ金融体制を構築した国際金融家たちの世界戦略が、その前提として厳然と存在したことを、忘れてはなりません。
 連合国を支配する邪悪なる勢力によって、ドイツのフライブルクやドレスデン、および東京・大阪などの都市にプルデンシャル戦略爆撃、そして広島・長崎への原爆投下という非戦闘員一般市民に対する大量虐殺が行なわれました。これは、紛れもなく、天道にも悖る「人類に対する犯罪」にほかなりません。
 ところが、国際金融家たちはRIIAの戦略によって戦後いち早くニュルンベルク裁判・極東軍事裁判というペテンを演出することで、みずからの大罪を隠蔽したのです。
 みずからの大犯罪は棚に上げ、一方的に日本の戦争責任を裁いたのです。それは、日本人自身による主体的な歴史的検討を禁じ、周到に民族国家日本の解体を企図した日本侵略史観でした。
 われわれは以上に確認したような歴史を踏まえ、世界的危機をもたらしているこの静かなる戦争に勝利するために、この戰爭を仕掛けている敵の正体とその文明の原理、その戰爭の手口を暴くことをみずからに課したいと思います。そして同時に、われわれが拠って立つべき日本の原理は何であるべきかをも、真剣に考えていきたいと考えます。