みょうがの旅    索引 

                    

 フォンランド技術立国に貢献した日本人 3
          (世界戦略情報「みち」平成18年(2666)3月1日第223号)

●ネットで注文しておいた窪田規氏の著書が届いた。目当ての本を探して古書店街を一軒一軒覗いてみるしかなかった頃に比べれば、何という便利さだろう。しかし、目的の本を探しながら、自然に他の本も目に付いて年来の捜し物にぶつかったりするような楽しみはない。便利になれば、失うものもあるということであろう。
 窪田規『技術者の能力をひきだす』(草思社、一九八五年六月三日刊)という本である。先号では刊行を「一九八五年五月」と書いたが、奥付によると初版発行が「六月三日」となっている。私が入手したのは、七月二五日発行の第二刷である。一ヶ月と少しで増刷されているのだから、そこそこに売れた本なのであろう。
●フィンランドの有力紙「カレバ」の第一面に掲載された窪田規氏へのインタビュー記事は大きな反響を呼んで、フィンランドで窪田氏は「時の人」になったが、ちょうどフィンランドでは「技術立国」への気運が熟して、適切な刺戟があれば一挙に殻を割って飛躍しようとする刹那に当たっていた。ただその国の内部だけでは、殻を割る力が未だしの時期だった。そこへ外部からどんぴしゃりの人物がやってきて、「技術立国」を説いたのである。まさに天の時が熟して「啐啄同時」ともいうべき現象が起こったのだった。
 オウル大学での一週一〇時間の集中講義に招聘される外国からの客員教授は、窪田氏の他にも英独仏などから大勢あったはずである。にもかかわらず、日本から招かれた窪田氏の発言がフィンランドの国策を決定する上で大きな刺戟となった。
 何よりも戦後に日本がたどってきた軌跡が「技術立国」を目指すフィンランドにとって格好の見本だったことが大きいが、その日本からやって来た人間なら誰でもいいというわけではない。戦後日本の「技術立国」の成長を身をもって体していたのが窪田氏だった。日本からの客員教授は窪田氏で二人目だったが、二人目にして初めて人を得たということである。
 それは、窪田氏が自らも書いているように、
「相手に技術思想を与えて、それを相互に討議して、相手に納得させねばならない」
という覚悟を決めてやって来たのは、窪田規氏だけだったということだ。
 フィンランドに招かれたことが窪田氏自身の人生の転機になったことも結果的には幸いだった。永年勤めたタムラ製作所を辞職してフィンランド行きを決意した当時の心境を想い出して、窪田氏はこう書いている。

「楽をして自分勝手なことをしようと思ったら、会社はやめるべきではない。独り立ちするより、会社にいたほうが面従腹背ですますこともできて、それこそよっぽど楽だという見方さえありうる。給料を貰って仕事が終わったら、何をしてもよい。しかし、独り立ちすれば、一日中自分でかたづけねばならない仕事が次から次へと生まれてくる。やり甲斐があるからこそ取り組むのである。
 フィンランドに行くかどうかを決断するには、私にもそれなりの不安があった。はじめての大学での講義だし、しかも英語ですべてをおこなわねばならない。相手に技術思想を与えて、それを相互に討議して、相手に納得させねばならない。私にとって大きな重荷であった。しかし重荷を背負う苦しみがあったから、私の人生の新しい自覚の転機になったのだ」
(『技術者の能力をひきだす』四四~四五頁)

 窪田氏は単に自分の研究方法や成果の一部を披瀝しようとしたのではない。自分の持てるもののすべてを与えて、徹底的に討議して相手が完全に納得するまで一歩も譲らない、すなわち全身全霊で対決しようと意気込んでフィンランドに乗りこんだのだった。
 悲壮な決意というべきであるが、その真剣さがフィンランド人の心を打ったのだ。それが天の時を得て、フィンランドの国策の決定に少なからぬ寄与を果たすことになったのであった。
●窪田氏はフィンランドで過ごしてみて感じたことをこう書いている。

「フィンランドで学んだことは、対応がきわめて早いということであった。そして大学の教授と民間の会社の技術者の交流が密接だということであった。大学と会社は互いに人材を交換しあっていて、教授が重役をつとめたり、民間の技術者が教授をつとめたりしている。外国からすぐれた技術者を招いて、一週十時間の集中講義をおこなってもらうシステムが確立していることも知った。フランスやイギリスやドイツからも自由に客員教授をよんでいた」(同書四五頁)

 対応が早いと窪田氏が感じたのは、フィンランドが溌剌として生気に溢れ、新しいものを生み出そうという創造の意欲に燃えていたからであろう。
 フィンランドにおける貴重な体験は、窪田氏にとっても大学と社会あるいは企業と社会の在り方について大いに学ぶところがあったようだ。

「オウル大学はフィンランドの首都ヘルシンキから北へ六百キロ、ボスニヤ湾の首の根のあたり、北極までわずか五十キロぐらいのところにある大学である。オウル市は人口六万人。有名なラップランド人の住む原野も近い。魚は豊富であった。私は六万三千もの湖沼があるという美しい自然の国フィンランドで客員教授の仕事をして、技術者の自覚や反省や社会への参加のあり方を学んだような思いがした。それは企業というものが、社会の中での構成組織体をなすという意識がつよいということであった」(同)

 こうしてフィンランドは国是を「技術立国」に据えてひたむきに邁進した。その結果は、例えば次のように紹介されることになる。

「一九八〇年代以降、フィンランドは、農業と林業中心の経済体制から、ハイテク産業を基幹とする工業先進国へと著しい変化を遂げた。特にノキア(NOKIA)やLinuxが有名である。その結果、ヨーロッパ内でも有数の経済大国となった。世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表する国際経済競争力の順位では、二〇〇一年から二〇〇四年までと四年連続首位に輝き続け、世界の注目を集めている(二〇〇二年は一旦、二位と発表されたがその後の再評価で一位に修正された)。
 情報社会と福祉国家を両立させたフィンランド・モデルは、興味深い研究対象としてだけでなく、諸外国の規範となる可能性を秘めていると言えよう」(ウェブ百科事典ウィキペディア「フィンランド」の「経済」の項より、引用に際して表記を一部改変)

 窪田氏がフィンランドに赴いて客員教授を務めたのは一九七九年の八月から、ちょうどフィンランドがハイテク分野で世界のトップへのしあがる、まさにその前夜に当たっていたことが分かる。
●日本におけるフィンランド研究の第一人者と目される松村一登氏のホームページに掲載されている神奈川新聞からの転載記事は実際に日本人がフィンランドを訪れて見た今日の姿(実は数年前になるが)が紹介されている。山田千代(横浜市在住、フリーライター)という人が執筆したもので、「本当の豊かさとは──注目の国フィンランドで」と題されて、神奈川新聞に平成一一年(一九九九)一二月一〇日、一五日、一七日と三回にわたり連載された文章の第一回目「(上)首都に横浜との類似性 ― 不況克服し情報化先進国に」は次のように書かれている。

「最近、北欧のフィンランドに注目が集まっている。世界的な携帯通信器メーカー、ノキアを生み,コソボ紛争和平では同国大統領が活躍。身近では環境問題やいやしブームもあって,自然との共存を進めるこの国の製品やライフスタイルが好まれている。神奈川県では七年前、同国出身者が町議に選ばれた。 断片的な話は増えても、この国の立体像が分かる情報は少ない。先月,施設見学なども組み込まれた同国ツアーに参加、そこでかいま見たこの国の素顔を書いてみたい。
 まず感じるのは近さだ。成田空港から約一〇時間で首都ヘルシンキの国際空港に着く。旧ソ連時代、日本からシベリア鉄道経由でヨーロッパに向かう人にとって、最初に出会う資本主義国だった。現在もロシアに接する国同士として外交上、重要な関係にある。
 両国の外交関係樹立は今から八〇年前だが、それ以前にも他国の船で来日したフィンランド人がいる。一例が一八七九(明治一二)年、蒸気船で横浜港に到着した探検家アドルフ・ノルデンショルドだ。この航海は前年、スウェーデンを出航、北極海経由の北東航路を初めて通り、歴史に名をとどめた。
 横浜港といえば、ヘルシンキも同じ国際的な港湾都市だ。一八一二年に首都となって本格的な街づくりが進められ、市中心部にはアール・ヌーボーなど一九世紀後半から今世紀初め、ヨーロッパで流行した建築様式の建物が目立つ。その北西部には第二次大戦以後に建てられた建築が並び、その代表といえるフィンランディア・ホールは、優れたデザインの国際会議場として有名だ。こうした建築物の様相にも横浜との類似性を感じた。
 この国はインターネット加入率が世界一位という情報化先進国だ。しかし一〇年前、主要な貿易相手だった旧ソ連の経済悪化などから深刻な不況に苦しんだ。それを克服、今は順調に伸びている点にも我々が関心を寄せる価値がありそうだ」

 いまや技術立国に成功したフィンランドは国際経済競争力で世界のトップにあり、さらに「情報化先進国」と呼ばれるまでになっている。それでいて、守るべきものはしっかりと守っていることが、山田千代さんの文章にも伝えられている。

「この国で深刻な問題の一つが人口の少なさだ。国土は日本から四国を除いたほどの大きさで、人口は日本の約二五分の一。教育でもビジネスでも国内だけでは限界がある。語学教育は重要、英語は小学校から教える。
 国民は読書好きだが、国内でしか売れない本は発行部数が限られるから高額になる。その策として図書館がよく利用されている。
 人が少ないことは利点でもある。自然の破壊が進みにくく、都市部でも緑の多い街づくりができる。通常なら人混みも車の渋滞も無縁。社会では少数勢力でも認められるチャンスがあり、政治参加は容易だ。
 人口が最も集中する首都圏でさえ、生ゴミ処理は埋め立てで間に合う。その事業を進める団体の幹部で、日本にも詳しい人に、わが国で参考にできそうなごみ減量法があるか尋ねた。答えは『人口密度などの違いが大きいから、われわれのやり方は日本で通用しない。提案できるのは、ごみを買わないことです』。
 街のショーウインドーの商品には洗練された美しさが感じられ、スーパーマーケットには多彩な食べ物が並ぶ。人々の表情やファッション、携帯電話の普及などから生活の余裕もうかがえる。だが充実した社会保障制度を支えるため税金が高い。無駄なものを買わないようにし、必要なものや好きなことにつぎ込むのが良策、と考えているようだ。
 どこかの湖畔にサウナ付き小屋を持ち、そこで夏休みを過ごすのがこの国では一般的だ。多くは電気も水道も備えず、湖水をくみ、釣った魚や森の木の実などを食材にし、キャンプするように楽しむ。現地の人いわく『フィンランド人はふだん進んだ生活をし、休暇の時はわざわざ苦労するのが好きなんです』。
 日本では景気対策の一つに、個人消費を促す施策が進められた。その発想で、本当に生活が豊かになるのだろうか。自然に近づくことを愛する「森と湖の国」から帰り、そんな疑問が膨らんだ」(一二月一七日「(下)無駄なものを買わない ― 埋め立てで処理する生ごみ ―」より)

●この三月一一日から、フィンランドの首都ヘルシンキで食堂を開いた日本人女性の物語を映画にしたものが公開される。群ようこの原作、荻上直子監督作品、小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ等が出演する映画である。
 この映画に「プロダクションノート及びフィンランド豆知識執筆者」として参画している森下圭子さんの文章がホームページ「かもめ食堂」の中にある。森下さんは平成六年からフィンランドに在住してユリア・ヴォリの絵本などを日本語に翻訳して出版している。フィンランドとフィリピンを勘違いするような若い世代の印象を記したものだが、フィンランドに非常な親近感を抱いていることが分かる。

「フィンランドといえば、相変わらずフィリッピンと言われるので、ここでしっかりおさえておきたい。フィンランドは北欧。フィリピンの近くにはない。EU加盟国だけど、EUでも存在感が薄い。日本との間にあるのはロシアだけっていう言い方だってできる、ロシアの隣にある北の北の国。フィンランドは印象が薄いだけあって、実際ちょっと地味で素朴。
 日本の人にとっては懐かしい感じがするところだろうと思う。フィンランドの人々は、ちょっとお人好しではにかみやさんで、それでも重い荷物を持っている人がいたらすぐに手伝ってくれるし、地図を拡げて道に迷っている旅行者を見かけたら声をかけてくれる。全然大げさじゃなくて、淡々としているけれど、ほっとさせてくれる」

 ここでフィンランド人を「ちょっとお人好しではにかみやさんで、……全然大げさじゃなくて、淡々としているけれど、ほっとさせてくれる」と言っていることに注目したい。これはまるで日本人のことを述べているような感じがする。そっくりなのだ。
 こういう印象記は厳密にいえば、曖昧極まるものながら、それだけに結構本音が語られる場合が多い。その中で、こんな親近感を感じたと述べているのである。日本の東北地方の人にそっくりだと印象を語っている旅行者もいる。
 やはり、フィンランドは日本にとって特別の国なのである。そしてその共通の根を求めるなら、ツラン民族の同族という点しかない。
●そのフィンランドがハイテク先進国としての実績を踏まえて新たな動きを始めている。 オウム事件以来有名となった「阿修羅」のウェブサイトの「戦争77」に掲載された投稿名「 Sun Shine 」 さんの本年一月二日の記事である。
「確かに『ツラン民族軍(Turanian Army)』というものが、昨年結成されていました」と題して、次のように語られている。

「『ツラニズム』(Turanism)の御指摘、ありがとうございました。
 調べてみたところ、確かに『Turanian Army(ツラン民族軍)』または『Turanian Nationalist Front(ツラン民族愛国者部隊)』というものが、二〇〇五年、トルコ、フィンランド、ハンガリー、モンゴル、コーカサス、ヤクート、エストニア、バルト諸国、それにカザフスタンにおいて結成されていました。
 だとすると、「エコノミスト」が今回、報じた理由は分かる気がしますね。恐らく、彼らをけん制するためか、それとも煽って、彼らを戦争へ導き、軍需産業に儲けさせようとする魂胆か」

 まず何より先にこの「ツラン民族軍」結成の情報を伝えてくれた投稿者「Sun Shine」氏の炯眼に脱帽し、深く感謝したい。
「ツラン民族軍」「ツラン民族愛国者部隊」に参加した国々は以下の九ヶ国である。

  トルコ
  フィンランド
  ハンガリー
  モンゴル
  コーカサス
  ヤクート
  エストニア
  バルト諸国
  カザフスタン


 互いに地理的に遠く隔たったフィンランドなどの国々が集まり「ツラン民族軍」ないし「ツラン民族愛国者部隊」を結成したというのは、世界史におけるまったく新しい胎動として、大いに注目しなければならない。
 それは、本誌で繰り返し述べてきたように、必ずや「ツラン」の運動は「道義の同盟」として従来の軍事同盟や経済協定とはまったく異なる性格をもつものであるからだ。
 なぜなら、先にも紹介したように、ツラン民族は、「地味で素朴」「お人好しではにかみ屋さん」「淡々としているけれど、ほっとさせてくれる」などの共通遺伝子をもっているからである。
 もちろん、ツラン同盟軍に結集したすべての国々が、弱肉相食むグローバリズムの潮流の最中にあることは否定できない事実である。しかし、だからこそ、グローバリズムの欺瞞とペテンにうんざりしているからこそ、新たな運動を始動したと見るべきである。
 われわれが日米同盟の狭間で米中戦略対峙に翻弄されている間に、ツランの同胞たちは次なる文明への動きをはじめているのである。
●ちなみにこの「ツラン同盟軍」を紹介する記事は、「ロシアが恐れるフィン・ウゴル主義」と題した英国エコノミスト誌の記事に関連して投稿者「愛国心を主張する者ほど売国奴」氏から「阿修羅」の「戦争77」欄に寄せられたものである。

「ロシアは国内の少数民族への外国の支援を脅威と見なしている。フィンランド・エストニアがEUとともに少数民族の不満をあおり立てるという計画を遂行しているとロシア政府は非難している。フィン=ウゴル系民族の団結を目指すフィン=ウゴル主義の活動家も活動している。
 フィンランドやエストニアと同一の民族に属するフィン=ウゴル系の少数民族であるコミ、マリ、ウドムルトにとっては独立を達成し発展しているエストニアは奇跡であり、フィンランドはうらやむべきスーパーパワーらしい。フィンランドやエストニアはこれらの少数民族の独自言語教育を弾圧しており、ロシアはそれを弾圧している。
 ロシアの強大化を恐れるEU諸国、特に東欧諸国の意志も考慮すれば、今後のEUの対ロシア政策の柱にフィン=ウゴル系民族弾圧批判が据えられ、それを通してロシアを分裂させ弱体化させるという目標が追求される可能性が高い。
 アジアに置いてはモンゴルが似たような立場にあり、今後少数民族問題を通してロシアや中国の分裂崩壊の引き金になっていく可能性がある。また、日本においても、樺太の大部分や千島の先住民族であるアイヌが北海道に追放されたことを問題にして、日本国民であるアイヌの先住権を根拠に樺太と千島の返還を要求していくということも可能だろう」

 なかなか意味深長な文章である。分断・離間を得意とする英国の情報工作の深謀が透けて見えるような側面がある。日本に対しても「樺太の大部分や千島の先住民族であるアイヌが北海道に追放されたことを問題にして、日本国民であるアイヌの先住権を根拠に樺太と千島の返還を要求していくということも可能だろう」と親切な助言を与えてくれているが、火のないところに煙を立たせるこういう手口は、日本ではとても発想できない奇策と映るだろう。だが、「人権」とはこのような焦臭い意図を秘めた方法論だということが逆に浮き彫りになる。
 ウェブサイト「阿修羅」で「ツラン同盟軍」を紹介したSun Shine 氏はこのエコノミスト誌の記事について、次のような投稿を寄せている。

「この記事が『エコノミスト』と言う西側のメディアによって掲載されたことに興味がある。なぜ、今、この時期にこれを掲載したのか。
 結論からいうと、インド・ヨーロッパ語系に属さず、アジア系語族であるフィノ・ウゴル語族に属するエストニア語とフィンランド語を話す民族に対する、ヨーロッパ系の人々の差別心とやっかみがあるように私は思う(フィンランド人は、その昔、蒙古のフン族がハンガリーに移住し、フィン族となり、その後フィンランドに移住したと言われている。フィンランド語はハンガリー語と似ている)。
 歴史的に見ても、フィンランドこそ西のスウェーデン、東のロシアの間に挟まれ、両国の植民地として苦しみながら、やっと独立を勝ち取り、世界的にもトップを争うほどの高い教育水準と豊かな生活を手に入れた。
 スウェーデン王国の一部だったフィンランドは、一八八〇年、帝政ロシアによって征服され、ロシア領となり、独立を獲得したのは一九一七年一二月である。
 しかし、その後も、常に隣の大国・ロシアの存在には、脅かされ続けてきた。
 古い世代の方々の中には、多分、御存知の人もいるかと思うが、昔、スウェーデンのロック・バンド、「スプートニクス」が「霧のカレリア」という世界的ヒット曲で歌ったことで有名な「カレリア」は、元々フィンランド領であったが、一九三五年旧ソ連が宣戦布告なしで攻め入った、いわゆる「冬戦争」の悲劇を歌ったものである。
『フィンランドは、一週間ももつまい』といわれていたが、国を挙げて徹底抗戦し、森と湖の地の利を生かしゲリラ戦で、ソ連の領土要求には屈したが、独立は守り抜いた。
 その後、フィンランドは西側自由諸国で唯一、旧ソ連との『友好協力相互援助条約』を結び、中立を守ってきた。
 フィンランドの北に住む少数民族・サーメ人(ラップ人)に対する民族語での教育をはじめ、その他の少数民族に対する異文化理解教育にも高い定評がある。
 フィンランド人は、西洋人が自然と拮抗し、征服しようとしてきたのと異なり、自然との調和を大切にするという点で、日本人とよく似ている。人々は、勤勉、実直、控えめで、物静か、恥ずかしがり屋の人が多く、アジア人的だ。
 余談だが、『トーゴー・ビール』という、日露戦争時の大将、東郷平八郎(?)から取った名前のビールもある。高潔で、勇敢な『サムライ』的国民をアイデンティーとしているところが、日本人と似ている(笑)」

 ともあれ、「ツラン同盟」が本質的には道義の文明の新しい動きだとしても、虚々実々の駆引を常態とする国際場裡で始動するからには、さまざまな波紋や影響を周辺に及ぼし、当面は大いに誤解されるであろうことを端から覚悟しておかなければならない。とくに、トルコやハンガリーにおいては声高に主張できないという事情を充分に斟酌しておかなければならない。そしてその上で、人類の新たな文明史を切り開くための運動の先陣に日本が立つことを願うものである。 (おわり)