みょうがの旅    索引 

                    

 宮脇昭「その土地本来の森を」 2 
       (世界戦略情報「みち」平成19年(2667)7月15日第254号) 

●「その土地本来の森を」を提唱する宮脇方式に対して投げ掛けられた批判は、現在の文明的位相を見事に象徴していると言えるだろう。
 つまり、従来の文明的な趨勢の上に立って今後を展望しようという立場である。だから、人間が造成した二次林の自然史的・文化的意義も尊重しようとする。これまでの文明の在り方を是とし、それを尊重する点からすれば、これは伝統的な保守の考え方であり、納得できる点も少なくない。
 しかし、いま問題になっているのは、人間による二次林の造成の仕方なのである。自然の本来の在り方に対し充分な配慮をすることなく、人間の都合を優先させ、ほんの申し訳程度の植林を行なってお茶を濁してきたのが、人間による二次林の造成の実態ではないだろうか。
 その結果、自然はどんどん破壊され、いまや人間そのものの生存までが脅かされるに至っている。すなわち、自然を破壊した人間の都合が、今度は人間自身を滅ぼしているのである。
 冷静に考えれば、人間自身が自然の一部であり、さらに言えば、紛れもない自然そのものなのであるから、自然の本来の在り方を無視して、人間だけが生存しうるはずもない。
「自然の本来の在り方」と「人間の都合」とが対立するならば、これはもう一も二もなく「自然の本来の在り方」に学んで従うほかはない。
 だが、まだ「人間の都合」が通用すると嵩を括っているかぎり、自然本来の在り方はどうなのだろうかと面倒な思いをめぐらすようなことはあるまい。
 要は、危機意識の如何に係っているのである。そして、その危機意識は、事実を冷静に見つめ事実の教えることに素直に耳を傾けることから生まれてくる。
●いま、自然はどうなっているのか。自然の中の生命はどうなっているのか。自然といっても、広大な宇宙の様子から、われわれの体内の生理まですべて自然であることに変わりないが、そのすべてを一朝一夕に調べ尽くすことは容易な業ではない。
 分子生物学者の渡辺格さんが生前に提唱しておられたような、地球生命の全体がいまどうなっているのかというような「生命圏の探求」には、企業も大学も乗り出すことに躊躇するのは、仕方ない。まず儲からないし、研究の成果が世間でもてはやされ業績として高い評価を受けるような状況にはないからである。
 だが、見方を変えて言えば、宮脇昭さんは、その渡辺さんが提唱していた「生命圏の探求」を実際にやってのけたと言うことができる。
 渡辺さんの「生命圏」という構想にあったのは、想像するにおそらくは、深海に棲む生物や永久凍土の中の生物さらには果たして宇宙全体に存在するかどうか定かではない地球外生物などの生命の探求であったように思われる。
 こうした困難な研究に取り組むのも、もちろん大切なことであるが、宮脇昭さんの発想はまったく違っていた。
 われわれにもっとも身近な、誰もが当たり前の風景として無視し省みない雑草の生態に取り組んだのだった。
 宮脇さんが大学の卒業論文のテーマとして「雑草生態学」をやると言ったときの指導教官の言葉は、読めば読むほど味わいがある。
 宮脇さんも「生涯忘れられません」と言っているように、堀川芳雄教授のその言葉が宮脇さんの生涯の研究方向を決定づけ、今日に「宮脇式」として高い評価を受けている植樹指導の原点となったのだった。
 堀川教授の言葉は先号でも引用したが、ここに再び引いてくるだけの価値がある。

 おお、雑草か。それは大事だぞ。理学と農学の接点で、あまり人がやっていないから面白い。ただ、宮脇、雑草生態学なんかやったら一生陽の目を見ないし、多分誰にも相手にされないよ。それでもお前が生涯かける気なら、是非やりたまえ。

 南方熊楠の粘菌研究だって、「一生陽の目を見ない」研究だったし、今に至るも正当には「多分誰にも相手にされない」状況に変わりはない。だが、いずれも渡辺格さんが遺言のように残していった「生命圏の探求」を独自の分野で行なった貴重な研究だと評価することができる。
●ただし、宮脇さんの場合、「多分誰にも相手にされない」と言ってしまったのでは間違いになろう。その人生の節目節目に、宮脇さんを正当に評価し、支持し激励する慧眼の士が堀川教授のほかにもいたのである。
 宮脇さんが広島文理科大学を卒業するに際し、「君はもう少し勉強しろ」と言って東大大学院小倉謙教授の生態学研究室へ推薦した福田八十楠教授もそうした恩人の一人だったし、東大で宮原さんが書いた論文に注目しドイツに招いてくれたドイツ国立植生図研究所長のラインホルト・チュクセン教授もその一人であった。
 さらにいえば、宮脇さんが日本全土を網羅する『日本植生誌』の完成のために文部省に研究助成金三〇〇万円を申請したときに、「本当にそれだけでいいのか」と聞き返して、大幅の増額を配慮した文部省の審議官(宮原さんは名前を記していない)も、具眼の士として記念されてよい。
 だが、チュクセン教授の招聘によってドイツに留学し「潜在自然植生」という画期的な自然観を身につけて帰国したものの、宮脇さんの研究が一向に世間から評価されない期間は長くつづいた。
 そうした困難な状況にも拘わらず、日本の自然がどうなっているか、虱潰しに調べようという宮脇さんの研究は片時も止むことはなかった。恩師堀川芳雄教授の訓戒を胸に刻んで忘れなかったのだろう。
 そのころの様子を、宮脇さんはこう語っている。

 一九六〇年末に帰国した後の約一〇年間は、ただひたすらに日本国中の植生を現地調査してまわりました。当時学位権のなかった横浜国立大学の教育学部に、全国から宮脇の下でいっしょに学びたいという若者が集まってきたのもこの頃です。来るものこれを拒まず、去るものこれを追わずで、昼間はいっしょに現地に出て、森から草地、都市のなかの雑草群落まであらゆる植物群落を調べ、夜はそれをまとめることに専念しました。おそらくこの一〇年が生涯でもっとも充実した期間であり、その後の現場主義を貫く研究姿勢を決定することになったと思われます。そして、地を這うような現地調査の結果得られた日本中の植生資料が蓄積され、緑の戸籍簿といえるほどの貴重な資料となりました。
(平成一八年度(第一五回)ブループラネット賞「受賞者記念講演」六頁)

 こうして蓄積された「緑の戸籍簿」が伊能忠敬の「大日本沿海與地全図」にも比すべき金字塔『日本植生誌』全一〇巻を生む母胎となるのである。
 だが、それはそのまま形になって、陽の目を見たわけではない。さらに、幾多の困難を乗り越える血の滲むような努力と、そしてぽつぽつと得られるようになっていく世間(企業、市町村、省庁、各種団体)の協力が不可欠なのであった。
●宮脇さんのやり方はこうだ。まず、調査対象の地域を一〇メートル四方に区画し各区画ごとの植物群落の具体的な配分、すなわち緑の現状診断図ともいうべき「現存植生図」を作成する。それと同時に、人間活動によって変貌を余儀なくされてしまった本来の植生(原植生)に立脚して、もし今人間の活動の影響をすべて停止したとしたら現在の自然環境の総和が支える自然植生とはどのようなものになるか考えて図にする。それが現在の「潜在自然植生図」である。
 ここで重要なことは、宮脇さん自身も断わっているように、潜在自然植生と原植生とは、必ずしも一致しないという点である。
 すなわち、「その土地本来の森を」と宮脇さんが言うのは、何も人間出現以前の状態に自然をもどせと主張しているわけではない。そんな滅茶苦茶を言っているわけではないのだ。
 荒廃した自然をこれからどうしたらよいのか。新たな国土づくりの指針として、潜在自然植生に従おうと言っているに過ぎない。あくまでも未来志向の考え方なのである。
 そのために、ひとまず人間の影響をすべて排除したとすれば、自然はどうなるかを考える。なぜなら、そういう自然こそ災害に強く、強靱で、しかも人間の手間を必要とせず、さらには、人間が生きるのにもっとも最適の環境を与えてくれるからである。
 こういう宮脇さんの考えには、人間の都合を最優先にすると人間そのものが滅びるという深い危機感があるように思われる。
 これから人間が生きのびるためには人間優位の思考を一時停止し、人間も自然の一部という本来の在り方に立ち返る必要がある。人間は自分で作った縄に雁字搦めになって窒息死しようとしているのだ。自縄自縛とはこのことであろう。
 それを具体的に教えてくれるのが、宮脇さんの潜在自然植生という考え方なのだ。
 宮脇さんが作った「現存植生図」と「潜在自然植生図」とを比較すれば、その土地の自然環境を診断することができる。そして、その土地本来の森が失われ自然が呻き声を上げているようなところでは、「潜在自然植生図」を指針として、元気な森を再び甦らせることができる。それはまさに、新たな国土造り、国土再生と言ってよい。
●日本各地で「緑の戸籍簿」づくりを手がけるうちに宮脇さんに一つの願いが芽生えてくる。日本全域を網羅する「緑の戸籍簿」を作り、それを誰もが利用できるように公刊したいという念願である。
 そうした願いの下、文部省に研究助成金を申請する。すると、そこに具眼の士である審議官がいて、申請額を増額して「研究成果公開促進費」という名目で助成金が下りるのである。
 日本国土再生の指針となるべき畢生の大業『日本植生誌』全一〇巻はこうして公刊の運びとなる。本文六六〇〇頁、総重量三六キロというこの快挙の歩みを以下に記してみる。

★第一巻「屋久島」 一九八〇年二月刊、三七六頁、定価四四、一〇〇円
★第二巻「九州」  一九八一年二月刊、四八四頁、定価五六、五二六円
★第三巻「四国」  一九八二年二月刊、五三九頁、定価五八、四三二円
★第四巻「中国」  一九八三年二月刊、五四〇頁、定価五七、三四二円
★第五巻「近畿」  一九八四年二月刊、五四六頁、定価五九、六九六円
★第六巻「中部」  一九八五年二月刊、六〇六頁、定価六五、〇八九円
★第七巻「関東」  一九八六年二月刊、六四一頁、定価六三、九一七円
★第八巻「東北」  一九八七年二月刊、六〇五頁、定価六一、九五〇円
★第九巻「北海道」 一九八八年二月刊、五六三頁、定価七一、四〇〇円
★第一〇巻「沖縄・小笠原」 一九八九年二月刊、六七六頁、定価六八、〇九六円
★「総索引」     一九九六年三月刊、三三〇頁、定価四、七九一円

 ここにわざわざ各巻について記したのは、一九八〇年より必ず毎年二月に一巻がきちんと刊行されていることを確認してもらいたかったからである。しかも、第七巻までは巻を追うごとに頁数が増えていることも確認して欲しい。
 本作りに多少なりとも携わったことのある人なら容易に想像がつくのだが、たとえ一冊でも予定通りに本を刊行することは至難の業である。それが一〇巻すべて、判で押したように毎年二月に刊行されている。
 日本全土を網羅するからには、一方で新たに調べる地域もあったであろうし、調査ずみの資料を本作りのために整理することも厖大な作業を必要としたはずである。そのうえ、宮脇さん自身はすでに海外からの依頼を受けて、日本を留守にすることも始まっていた。
 にもかかわらず、毎年一巻ずつ例外なく刊行されている。これはもう人間業とも思えない、神業に近い作業ではなかったか。その間の経緯を宮脇さんは感謝の言葉とともに記している。

 厳しい条件のなか植生誌が完成したのは、各地方の大学や研究機関の一一六名の方々の惜しみない協力のおかげです。しかし、コアになる植物群落単位の決定やその地球規模のシステム化、植生図化は、横浜国大の植生研究室の研究員らわずか五~六名で行なわれました。ちょうど三巻目にさしかかったとき、研究チームを代表して奥田重俊助教授から、一年休んでほしいという申し入れがありました。このまま続ければ死んでしまう、先生は私たちを殺す気ですか、というのです。
 ちょうど、念願であった東南アジアの植物群落調査計画に文部省の海外調査費がついて、一年に三ヶ月間、一一月から一月まで、ボルネオ、タイ、マレーシア、インドネシアの海外調査を平行して行なっている頃でした。私は悩みました。しかし一年中断すれば、せっかく始めたプロジェクトがそのまま終わってしまうかもしれない。そこで、俺も一生懸命やるから君たちもがんばってほしい、と頼み込みました。お互い理解しあって、日本植生誌全一〇巻の完成にこぎつけることができたのです。本当に、当時の研究室の皆さんと、それを支えた日本国中の研究者の皆さん、先輩研究者の方々のご協力、ご努力の賜物と感謝しています。(同七~八頁)

 そのような殺人的な努力の末に完成した『日本植生誌』には各巻の最後に「それぞれの地域の原植生に近い自然植生の保護と、土地本来の防災・環境保全林、水源涵養林、都市林、産業立地林、道路・交通施設環境保全林を潜在自然植生に基づいてつくるための具体的提案」が地方別にまとめられている。後は、この提案を実現するかどうかである。現在、宮脇さんは企業や自治体の依頼も受けて「宮脇式」の植林指導に当たっているが、これは一日も早く国家事業として着手すべき急務ではないか。それを切に訴えたい。