みょうがの旅    索引 

                    

  ロマノ・ヴルピッタ氏の切言
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日本人はどの建国記念日を祝うのか 
         (世界戦略情報「みち」平成9年(2657)3月1日第25号) 

●去る二月一一日、東京の東條会館で催された第十三回紀元節記念式典において、イタリア人のロマノ・ヴルピッタ氏が「紀元節私説」と題して記念講演を行なった。
 ヴルピッタ氏が日本語で著わした保田與重郎論『不敗の條件──保田與重郎と世界の思潮』(中央公論社、平成七年二月刊)については、本誌五号「ロマノ・ヴルピッタ著『不敗の條件」が教えるもの」で採り上げ、思想家保田與重郎を世界の思潮の中に正当に位置づけ、みごとに今日に蘇らせた功績に、ささやかな謝意を呈したことがある。
 ヴルピッタ氏は紀元節の記念講演において、まず冒頭に告白した。前回まで紀元節奉祝式典に招かれて記念講演を行なった講師の方々に引き比べ、自分はとてもその任に堪えないと自覚し、講演の依頼を断わろうと思った。しかし、日本の建国記念日である紀元節に外国人たる自分が参加することに意義があると思い至って、講演を引き受けることにした、と。
 本題に入って、紀元節の意味を考える際に、ヴルピッタ氏は保田與重郎の日記を繙くことから話をはじめた。尊敬する先人の意見にまずは耳を傾けるというその姿勢は、一人の人間が先人に私淑するとはこういうことを言うか! と感銘を与えるほどに、極めて自然でありながら、師に対する至誠の深さをまざまざと感じさせるものであった。
●ヴルピッタ氏によれば、保田與重郎は昭和一五年、皇紀二六〇〇年の紀元節を迎えるに当たって、ふるさと大和の桜井に久しぶりに帰省した。同年二月八日の日記および一月四日の『大和新聞』に寄稿した「皇紀二千六百年を迎えて」という文章に、保田が紀元節についてどう考えていたか、が記されている。
 時すでに、ヨーロッパで第二次世界大戦がはじまっており、日本も前年ノモンハン事件でソ連に手痛い敗北を喫していた。保田與重郎はすでに時代の趨勢を見て、日本が敗北する予感を感じつつも、戰爭の勝敗を越えて連綿とつづく国家と民族の長い歴史が要求しているもの、それこそはこの紀元節の意味ではないか、と考えたのであった。
 保田は橿原神宮で皇紀二千六百年大祭に列した後も郷里に残り、『万葉集の精神』の執筆をはじめる。そして、国家と将来に対する不安を抱えながら、前年大患に倒れた祖父が御大典までは生きていたいと洩らしたことばを想い出し、国家と社稷の関係を考える。そして、制度学者の権藤成卿が説くように社稷と国家を分けるのは誤りであること、万葉集の精神を確固不動のものとすることだ、と思い至るのである。
●ヴルピッタ氏が説くには、日本の紀元節は保田が言うように、国の始まり、年の始まり(昔は紀元節が正月一日であった)、暮らしの始まりを祝うものである。諸外国の建国記念日がいずれも革命による血塗られた記念日であり、歴史の流れの中の節目であるのに比べ、日本の建国記念日である紀元節は、歴史の始まりそのもの、民族国家という運命共同体の絶対点なのである。
 かつてはヴルピッタ氏の祖国イタリアでも、ロムルスとレムルスによるローマ誕生の謹話に基づく建国記念日を、四月二一日に祝ったのであるが、いまは絶えて久しくなる。
●ヴルピッタ氏は、近ごろ八月一五日を建国記念日にしようという意見が一部の日本人にあると聞くが、歴史を否定し、民族を否定し、日本という国家を否定する、無国籍の日本人にはまことに相応しいかも知れない、と痛烈な皮肉を日本人に送った。
 そして熱く説いた。紀元の時期を決定するのに、歴史的な証拠を追求することは、まったく無駄な努力と言うべきである。紀元とは、民族共同体、国家国民の信念なのであって、学問としての歴史学とは無関係である。民族の神話、つまり民族の歴史的意識の中にこそ、紀元の意味がある。それは神武建国の大業をみずから微力を尽くして成し遂げんとする決意である、と。