みょうがの旅    索引 

                    

 相曽誠治氏は神界から来た「言向命」だった
         (世界戦略情報「みち」平成20年(2667)11月1日第260号)


●先ごろ富士谷紹憲さんから相曽誠治氏の講演ビデオをどっさりと頂いた。「自分はもう充分観たから、要るなら上げるよ」と鷹揚にも所蔵の相曽氏の講演ビデオの一切を下さったのだ。
「政界の風水師」とも言われる富士谷さんは「歴代の総理の器は儂が観る」と豪語する怪人物であるが、実は本誌の創刊以来の有力な支援者でもある。そのうえ、われわれにとって掛替えのない大切な人との御縁を結んでくれる「縁結びの神」でもある。
 相曽誠治さんを私がよく知るようになったのはごく最近、小説家佐藤愛子さんの『私の遺言』(新潮45に連載後、二〇〇二年一〇月、新潮社刊)が直接のきっかけであるが、富士谷紹憲さんは相曽氏と永く親交があり、相曽氏に守ってもらっていたのだという。
●富士谷さんに頂戴した相曽誠治氏の講演ビデオをまとめて観てみた。実に貴重な宝物を頂いたと只ただ感謝するほかはない。
 相曽氏の語り口は常に慎ましく謙虚ながら、確信に満ちていることがよく分かる。その訳がある所でさりげなく語られている。土佐の神人宮地水位(一八五二~一九〇四)など霊格の高い神人や神の直接の教えを受けていると言うのである。
 なるほど、宜なるかなと納得する話である。佐藤愛子さんも書いている。

 相曽誠治氏とはいったいどういう人物なのだろう? 私は考え込まずにはいられなかった。鶴田医師に問うと、「私は今まであんなに無私の、清らかな魂を持った人に会ったことがありません。どんな人に対しても、どんな時でも同じ表情、変らない態度。あれは自然体というのでしょうか。しかしその自然体は我々俗人の自然体とは次元が違うように思われますねえ」
 という。その観察に私も全く同感である。氏の前に出ると、自分にはなかった「つつしみ深さ」が出て来て、何を訓戒されたわけでもないのに反省や悔悟が生まれてくることは確かだ。

 そこで、佐藤愛子さんは相曽氏に直接聞いてみた。

「失礼ですが、先生は、神界からおいでになった方ではございませんか」
 すると、相曽氏は「驚きも笑いもせず、極めて冷静に頷いて」こう答えたのだった。
「私はことむけのみことと申します」 やっぱり……と心に頷いていた。「ことむけのみこと」とは多分「言向命」と書くのであろう。即ち力で従わせるのではなく、言葉をもって導くという意味であろう。

 なるほど相曽誠治氏自身がある使命をもって神界から人間界に降って生まれた神ないしは神人だったのである。
●その相曽氏が確信に満ちて語る眼目が「大嘗祭(おほにあへまつり)」の意義についてである。この祭儀は「践祚大嘗祭」ともいうように、天皇陛下の御即位式には違いないが、その本質は天地・地球・天体の運行の恙なきを祈ることにあると相曽氏は説く。「おほに」とは偉大なる土つまり大地・地球・天体であり、それを「あへる」とは、それら天体の運行の「和順」なることを祈るという意味なのである。天皇陛下は皇祖皇宗の神々の指導の下でかかる神業を行なって我々を守って下さっているのだ。代々次々の陛下の真のご公務とはこの神業にあり、このような天皇陛下を戴く日本は、まさに神国と言うほかない。われわれ日本人は、紛れもなく神の子なのであり、神の子の使命がある。(つづく)