みょうがの旅    索引 

                    

 キルギス人日本人同祖説 2
   (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)2月15日第266号)


●『シルクロードの経済人類学』(東京農大出版会、平成一九年刊)の中で栗本慎一郎は、「カスピ海からキルギス、モンゴルを経由し、今のロシア沿海州に至る『草原の道』こそが、主要な東西交易路であった」とこれまでの常識を覆すような所説を述べていると『世界日報』に連載中の「天山山麓の親日国キルギス2」(平成一九年一二月二日号)で大川佳弘記者はいう。
 しかも、その「草原の道」はさらに沿海州から東に延びて日本海を越え、日本の東北地方が終点となっていた、ともいうのである。
 即座に私は、これは聞き捨てにしてはいけない卓見である、と直感した。そこで早速、調べてみた。大川記者が引いている右の本の他に、関連する著作として、同じく栗本慎一郎の書いた『シリウスの都飛鳥』(たちばな出版、平成一七年刊)と建築家渡辺豊和著の『扶桑国王蘇我一族の真実』(新人物往来社、平成一六年刊)のあることが分かった。高価な本を買うのはよくよく考えてからにしなければならない身ではあるが、この二冊はぜひとも欲しいと思い、注文した。
●それはともかく、ではなにゆえに、「主要な東西交易路」であったこの「草原の道」が、日本にも大きな関わりがあるというのに、これまで充分に注目されてこなかったのか。
 大川記者によると、その理由として二点が挙げられるという。

  ①この「草原の道」を支配した突厥(とつけつ)などの遊牧民族が文字を持たなかったために
    歴史に記録されなかった。
  ②「草原の道」から閉め出された支那が、自らの影響下にあったと宣伝する政治的意図の下に、
    「中央アジア─西域ルート」を「シルクロード」=主要東西交易路として歴史に記録した。

 つまり、東に向って「歴史認識」を改めよとわが国に迫っている支那は、西に向っては遊牧民たちが文字を持たなかったことをいいことにして、歴史の捏造を重ねてきたのである。支那人の主張して止まない「歴史認識」なるものがいかなるものか、この一事をもってしても分かろうというものだ。
 われわれがNHK取材班による映像「シルクロード」シリーズで観ていたのは、支那がわれわれに見せたい映像であり、支那がわれわれに認識させたい「歴史」だったわけである。
 その結果、「シルクロード」といえば、支那唐代の都長安を発して玉門関を過ぎ、敦煌よりパミール高原に至る「西域南道」と、敦煌より楼蘭を経てタクラマカン砂漠を越え、コルラよりカシュガルに至る「天山南路」がもっとも有名で、「シルクロード」と童謡「月の砂漠」のイメージとがしっかり結びついてしまった。「草原の道」は支那版「シルクロード」ではギリギリまで支那領に引き寄せてねじ曲げられ、わずかに「天山北路」として形骸を留めるにすぎない。そこでは、蒙古高原以北・以東のルートがすっぽり抜け落ちている。
●大川記者は言う、「確かに、乾燥したシルクロードよりも、水や草木が豊富な『草原の道』の方が交易路にふさわしい。われわれの先祖は魚を求めて『草原の道』を東に行き、日本列島にたどり着いたのだろうか」と。そして、名前しか知らなかったキルギスに急に強い親近感を覚えるに至るのだ。(つづく)