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  産鉄民族キルギス人 2
  (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)4月1日第269号)


●古来よりユーラシア大陸の深奥部に横たわる草原の道に覇を唱えた民族の興亡は枚挙に遑がないが、匈奴・鮮卑・突厥・吐蕃・西夏など遊牧民族国家の何れもが、「キルギス」族に一目も二目もおいて同族視したり、あるいは自らの勢力圏内に取りこもうとしたのは、キルギス族が産鉄民族であったからにほかならない。いわばキルギス族は製鉄に秀でた優れた職能集団だったと考えられる。
 遊牧民族である草原の民と定着農耕を基本とする支那人とは文明的に相容れない存在であり、遊牧民族についての一般的歴史観は支那の史書によって培われてきた経緯があるため、支那人の偏見に災いされて、根本的な誤解を免れていない。本来は誇り高き名称であったはずの民族の名前自体が「奴」や「卑」などの賤称字をもって呼ばれることに象徴されるように、今日なお「塞外の蛮族」のイメージを引摺っている。
●われわれ日本人もまた国家草創期において誕生した国々を、支那人の独善的史観によって「狗奴国」とか「鬼国」「鬼奴国」などと賤称された経験を共有する。よく知られているように、そもそも「倭人」が支那史伝に初めてまともに取り上げられたのが、有名な「魏志倭人伝」だが、正確には魏・蜀・呉の三国時代の歴史を記した陳寿の『三国志』のうちの『魏書』の末尾に、烏丸・鮮卑や東方の諸民族を一緒に纏めて「烏丸・鮮卑・東夷伝」とした中に、わずか二〇〇〇字ほどの「倭人」に関する条が「東夷」の一員として記述されているにすぎない。
●だが、支那の偏見を離れ草原の民の歴史を少し繙いてみれば、彼らが独自の優れた文明の下に自由闊達の生活を営んできたことが分かる。
 ところがいま、かつての草原の民は支那共産政権の下で漢人優位の抑圧政策によって民族のアイデンティティーまで喪失する危機に立たされている。本号藤原稿に指摘するように、全人代でチベット人代表が繁栄・発展を報告した矢先にラサで暴動が起きたことが危機を端的に象徴している。
 草原の民は激動の歴史を生き抜いてきた。草原に覇を唱えた帝国が亡びても、それを建てた民族が消えてしまうわけではない。例えば、西夏を建てたタングート族はチベット化してラマ教を信奉するようになったが、一九四五年当時においてはチベット人とも蒙古人とも截然と区別される民族として、支那奥地の厚和(現綏遠)に日本が設けた興亜義塾(特務機関員養成所)の生んだ不世出の特務機関員西川一三(かずみ)は『秘境西域八年の潜行』(中公文庫)の中に描いている。チベットの宗教改革者にしてチベット仏教最高の聖者と崇められるツォンカパはタングート族の出身である。暴動と決めつけられた今回のチベット人反乱の中にも多くのタングート族がいるはずである。
●先に述べたように、キルギスの初期国家「契骨」は「阿輔水と劔水の間に国を建てた」と支那の史伝に記されているが、その建国の地は「劔水」という鉄器に纏わる名称をもつ河川に関連している。日本の地名にも、鉄穴川や鑪沢など産鉄に纏わる伝承を反映する地名が数多く残っている。また、日本人が物作りに拘るのも、本来われわれが職能集団として暮らしてきた歴史があるからである。栗本のいう国家の基本的な組織やその名称という共通性も大事だが、素朴な民族感情の共通性も無視できないと、私には思われる。(つづく)