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 反支那地帯を行く ──西川一三の秘境西域潜行 3
     (世界戦略情報「みち」平成20年(2008)7月1日第275号)

●西川一三の西域潜行と時期とところを同じくし相前後して踏査したのが、前にも述べた木村肥佐男である。木村にもその踏査探索旅行の報告書がある。中公文庫『チベット潜行十年』という本である。西川一三の本は現在絶版、抄録版が『秘境西域八年の潜行 抄』(中公文庫BIBLIO)としてあるものの、完全版は古書で手に入れるしかない。木村の方は新刊でも入手できる。それをようやく手に入れた。
●木村肥佐男の報告書もそれ自身充分に貴重なものである。そのうえ、西川があまり詳しく語っていない点も両書を読み併せれば自ずから明らかになってくる。特に帰国の経緯については、木村の本の方が断然詳しい。
 祖国敗戦の報に接し使命の終わったことを自覚しつつ、さらには帰心矢の如き焦燥に駆られながらも、なお二人が活動を続けようとしていたことも分かってきた。西川一三はさらに足を延ばしてビルマ方面への探索を行なおうとしていたようだ。その不撓不屈の精神力には感服のほかない。いっぽう、木村肥佐男はチベットの近代化維新に加勢助力しようとしていた。その著書でこう語っている。
 私はチベット滞在中、革新的青年グループと知合いになって、チベットの中世的封建政治を改革しようと意図していた。日本の明治維新を参考にして、世襲貴族や上級ラマからなる上院と、選挙された代表からなる下院の二院制度、及び廃藩置県をモデルに、貴族や寺院の領地接収とその代償としての処遇案などを提案した。また改革の根本的精神として、五ヵ条の御誓文を翻訳したりもした。
 そのようにして出来上がった改革案を主だった者数人の連名で内閣に提出した。それが原因となって一九四九年、私を含む革新的青年グループの全員が、チベットから追放処分を受けた。それは中国人民解放軍がチベットに進出する前年のことであった(追放された人たちの多くは、その後チベットに帰り活躍している)。  (同書二八三~二八四頁)
●木村肥佐男は革新的青年グループの中心人物ブンツォ・ワンジルとの交遊からチベット維新に加担することになったものだが、すでにしてチベットの命運は風雲急を告げようとしていた。チベットが国府関係中国人全員の退去を命じたのは中国軍のチベット侵攻を予期したからであるが、皮肉にもそこに蒙古人に扮装した木村肥佐男も含まれていた。果たして、翌一九五〇年の一〇月、支那共産党解放軍がチベットに向けて進撃を開始する。その結果、チベットは現在に至るも支那に編入されることになった。木村はいう。
 チベットは現在中国に編入され、その一自治州にすぎない。しかし歴史的に見て、それまで漢民族の支配を受けたことは一度もなかったし、文化的にも完全に独立していた。そして数百年来、独立主権国家として存在してきたのである。チベットに比べてはるかに独立国家としての形式を備えていなかった外蒙古が、今日独立して国連加盟を認められていることを思えば、チベット人の悲しみが判るであろう。
●北朝鮮がテロ支援国家の指定から解除されたことはアジアに大動乱を巻き起こす前兆と言ってよい。支那は早晩割れるであろう。この動乱を好機としチベットが独立を回復するため、先人西川一三や木村肥佐男の衣鉢を継いで、われわれはチベットに対してあらゆる助勢・助力を行なう必要がある。(つづく)