みょうがの旅    索引 

                    

大和へ、そして吉野へ 3 
(世界戦略情報「みち」平成21年(2009)2月15日第288号)

●「さればこそ」とは、皇統奉公衆の存在を聞いたときの私の安堵の思いである。国の威信を身に帯び国際場裡で国益を守るべき任にある外交官たちが、角田稿の詳説するように赴任先の国に迎合して右顧左眄する。外務省というより「害務省」と呼ぶのが相応しい外交機能しかもたない国がどうして毀れてしまわないで存続しているのか。誰が考えても不思議である。だが、そこに皇統奉公衆の活躍を置いて考えると、ようやく辻褄が合うのである。そして同時に、「そうでなくては」とも思うのだ。ただし、栗原茂はこうも述べている。

 神格天皇三代(明治・大正・昭和)の禊祓に順って働くなか、日本政府の頽落(たいらく)を補うだけに止まらず、敗戦後の外地乱世を緩和するため、世界各地に重大な痕跡を刻んでいる。この皇統奉公衆の勇躍は潜在性が道議であり、それがまた奉公の本義であるため、大江山系霊媒衆や在野浪士の働きに同化しても、その連続性を保つ伝承法は完全に一線を画している。

したがって、その存在は決して表には出ないし、また出てはならないのであろう。あるいは、冒険家・探検家として世界中に有名な植村直己のように、まったく別の姿を世間に晒し韜晦する場合もあるに違いない。
●役行者すなわち役小角もまた紛れもなく皇統奉公衆の一人であった、いやその棟梁であったと考えられる。古来より謎の人物とされる役小角について、明治の文豪坪内逍遥が『役の行者』という戯曲を書き謎に挑戦しているが、役小角の真相に迫るには至らなかった。関東の高尾山や三峯神社ばかりでなく日本全国の霊山霊地にお参りをして奥の院まで足を延ばせば、そこに役行者が祀られているのを眼にする。往々にして「役行者がこの山を開いた」などという開山縁起の説明書があったりするのだが、それでは一体、「山を開く」とは何なのか。一般に役行者は修験道の開祖ということで納得されているが、「修験道」とはそもそも何ぞや。
 昨今流行のアウトドア・ライフでもあるまいし、さらには「修験道」という宗教教団ないしは一宗一派を建てるのが役行者の目的だったとも思えない。まして逍遥が注目した韓国(からくにの)連広足(むらじひろたり)との軋轢やその讒言など「政体」絡みの憶測は、的外れも甚だしいというべきである。
●そこで、私なりの想像を逞しくして考えてみた。神格天皇の吉野(より正確には大峰ないしは大台ヶ原か、詳細不明)における霊峰富士の遥拝に際し、同時に全国の霊峰霊山において役行者の徒らが神格神事に合わせて富士遥拝の神事を行なうのだ、と。
 霊峰霊山にはそれぞれ神がおられる。その神々もまた、神格天皇の富士遥拝に軌を一にして富士を拝むのである。
 役行者による「山開き」とは、この一大神事のために神々を説得すること、そしてそれぞれの神々の氏子に神事の要諦を教え神格による神事を全国的に支えること、このことの謂であったのではないか。
●日本全国の神々がいっせいに富士を遥拝する。霊峰富士は不二であって、天照大御神のご神体である。その上空一〇キロメートルには富士神界がある。この日本全国の神々が挙って参加する一大神事の中核にあるのが、神格天皇なのである。神々もまた神格の神事には順うのである。神格による一大神事が恙なく行なわれるためにこそ、私は「大和へ、そして吉野へ」と願う。