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 支那覇権膨張を警戒せよ ─ タイ争乱の教訓
               (世界戦略情報「みち」平成21年(2669)5月1日第293号) 

●三月の末から四月中旬まで三週間にも及んだタイの争乱はひとまず収拾された。その経緯と背景については本号の「世界情報分析」が詳しいが、とりわけタイ争乱の狙いが「国体の変革」にあったという指摘は重要である。
 テロや大規模デモ、あるいは軍部の急進派によるクーデタを通して社会の不安定化を醸成しつつ国体を顛覆させ、革命政権を樹立するという手口は昨今に始まった手法ではない。
 イタリア建国の父と尊敬されているジウゼッペ・マッチーニ(一八〇五~一八七二)は、実は一九世紀の中葉に発動された世界的規模の「国体変革」運動の陣頭指揮官ともいうべき存在であった。すなわち、「青年〇〇党」なる革命組織を各国に誕生させ、この組織によって共和制政体の実現を目指した世界戦略である。今回のタイの争乱もこの世界戦略の延長線上にあると見るべきである。
●マッチーニ自ら「青年イタリア党」を樹立して創始した共和制への流れは、最終的にイタリアにおける王制の廃止に結びついた。ロンドンの司令塔を通して指導された各国の青年党運動は、オスマン帝国のケマル・アタチュルクによる「青年トルコ党」や南米ペルー出身のアヤ・デラ・トーレが亡命先のメキシコで結成した「青年ペルー党」=「アメリカ人民革命同盟」(アブラ党)など世界各地において革命運動の母体となった。
 各国の特殊事情による偏差はあるものの、いずれの国でも「国体」が顛覆され今日では「共和制」が敷かれていることは誰の目にも明らかだ。
 わが国とて例外ではない。世界規模で見れば、わが国でも「青年日本党」の革命運動が徳川政権を転覆させ明治維新を齎したことは否定しようもない。ただ、日本においては「国体」が二重の構造となっているために、明治維新によって政体は顛覆することができても、国体そのものを覆すことはできなかった点が異なる。
●支那において清朝帝政という国体を覆したのが「青年支那党」とも呼ぶべき、孫文の「興中会」から「中国同盟会」に至る革命組織であったことは歴史的事実である。孫文が「中国革命の父」と呼ばれる所以だろう。その孫文が神戸港から日本を離れるに際して「日本は西洋覇道を採るのか、東洋王道を歩むのか」と迫った話は夙に有名だ。だが、孫文が「東洋王道」なる言葉に託し意味したのがボルシェヴィキ思想(ソ連もまたアジアなり)であったことは意外に知られていない。かくいう私もつい先頃、神戸の兵庫通信発行者の村上学さんに蒙を啓かれたばかりで、偉そうに言うべきではない。孫文とその後継者たる共産政権の行動を見れば、東洋王道とは赤色革命路線なりとする説が急に現実味を帯びてくる。
●今や支那において社稷に基づく国体は雲散霧消して影も形もない。そこにあるのは中華帝国の形骸たる覇権膨張主義と革命輸出のコミンテルン路線の野合であって、その結果生れた鬼子が支那流グローバリズムとして世界中を席巻している。その鉾先に狙われ国体を顛覆・覆滅させられた国がチベットでありモンゴル(ソ連との分業作業)でありネパールであった。そして今、日本の友邦タイが狙われている。世界潮流としての国体変革の荒波を辛うじて凌いだ日本の役割は重要だ。なぜなら、共和制にしろ共産制にしろ、世界権力に操られやすい衆愚政体は社稷と民族の心を犠牲にするからだ。