みょうがの旅    索引 

                    

 世界総民主化完了と新たなる人類文明の誕生 
             (世界戦略情報「みち」平成21年(2669)5月15日第294号) 

●高尚な学問的議論は脇に置くとして、「民主制」も「共和制」もともに民衆=大衆が権力の主人公だとするペテンにおいて共通している。前者はギリシア語に由来し、後者がラテン語の借用であるという違いはあるものの、民衆=大衆を政治の主人として祭り上げて、甘美な幻想によって目眩ませるという意味で、共に政治的謀略の最たるものである。「民主」であれ「共和」であれ、大した違いのないことは、富の自動的収奪装置である連邦準備銀行を国家の中央銀行的機関として受け容れてしまった米国の悲劇を見れば、充分に納得されよう。
 大東亜戦争に敗れて米軍の占領下に置かれた日本に対し米国が「民主主義」こそ人類最高の政治制度として強要したのも、米国の惨たる歴史に鑑みれば、むしろ当然の政策だったと言える。
 問題はこのペテンに嬉々として迎合した日本人がいたことである。ペテンを見抜けなかったばかりか、剰え心の底から民主主義を信仰する輩が澎湃と湧き出て跳梁跋扈したことは敗戦後の占領中のこととはいえ、日本の文明力の恥であった。そして未だに大多数の日本人が「民主的」といえば誰もが賛成する称賛・讃美の代名詞であって、「非民主的」と言われれば糾弾・弾劾の言葉として落胆する。何という浅薄な世情であることか。
●「民主主義」を金科玉条として信奉する大衆の成れの果ての姿を本号角田稿が描いている。戦後日本の教育制度を改革してやろうと意気込んで来日した米国の遣日教育使節団の浅薄さ加減が具体的に指摘されているので、是非とも熟読し心に刻んでもらいたい。米国に渡った連中などどうせヨーロッパの食いつめ者たちで無知蒙昧は元々の性なのだと嘲笑するのは簡単だが、今の我々に米国人を嗤う資格はない。それに、米国人をしてさらなる蒙昧に陥れたのが、ジョン・デューイの大衆洗脳教育理論だったことも斟酌しておかなければならない。日本にストッダード教育使節団を送り込んできた米国自身が、実は大衆洗脳という病魔に深く冒されていたのである。
●本号栗原稿も「東西冷戦構造という理屈はダブル・スタンダードであり、互いに民主化を進める点では何も変わらず」と喝破しているが、民主主義の行き着く先は人類の種としての消滅であると私は固く信じている。もし世界がすべて民主化されたとしたら、世界中の人間のすべてが白痴化したことになり、白痴によって切り開かれる未来などあり得ないからである。
 人それぞれに指紋が違うように、人の格にも違いがあり、そこに自ずから区別がある。自分と異なる他者を劣れりとして差別するのは人間の悪しき性だが、人格に貴賤のあることは否定のしようもない。卑しき心根の人は多く、高潔の士は稀である。だが、人として生まれてきた以上は少しでも心を磨き公に尽くすのが人たる者の使命である。地球温暖化という一大謀略に誑かされ「エコ、エコ」と大合唱せざるを得ないのが商売人の宿命としても、「空気を売買いするのは、どこかおかしい」と感じる素朴な感覚こそ、日本文明の源であり底力なのである。互いの違いを尊重しつつも人格に貴賤ありとしていずこにも天然自然の教える「みち」を見つけ、その道理に遵って切磋琢磨してきた日本の伝統こそ、民主主義を信奉して破滅するかもしれない人類に新たなる未来を開く文明を齎してくれるものと私は信じている。