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 神を「はたる」人々 ─ シュメル文明の岐路 3 
             (世界戦略情報「みち」平成21年(2669)7月1日第297号) 

●シュメル文明がなぜ亡びたのか?
それは今日のわれわれにとって数千年の歴史の彼方の縁遠い問題ではない。なぜならば、シュメルに始まる文明の利便の恩恵をわれわれも享受しているからである。集約的栽培農業や牧畜、そして余剰生産物による遠隔地までをも含む商取引、文字による記録と学校におけるその集団教育等々、シュメルの遺産はわれわれの日々の暮らしの中に確実に生きている。だが、その文明の遺産が滅亡への癌細胞だとしたら、恩恵を受けているなどと呑気なことを言っている場合ではない。われわれはむしろ、シュメル文明の悪しき害毒に深く冒されていることを自覚する必要があるのだ。
 そこで、改めて問う、シュメル文明とは何であったのか、そして滅亡へと至る岐路は一体どこにあったのか、と。
 限られた紙幅ゆえに回りくどい穿鑿は抜きに結論だけを言おう。シュメルは驕りの文明であった、その驕りゆえに亡びたのだ、と。
●こういう倫理的断罪の口吻が近時の嗜好に合わないことは十分に承知している。おそらく大方の読者は先の問に対して、経済的条件や当時の国際環境における説明を期待したはずだ。
 だが、国家の、あるいは文明の持続発展の原動力を経済条件や国際環境で解くことには限界とある種の胡散臭さがある、と私には思えて仕方がない。そのような諸条件よりもっと内在的な原因があるはずだと思うのである。
 そういう思いで見ると、シュメルの高収穫倍率を誇った農業も、余りにも土地を苛めすぎ酷使しすぎて、土地の力を衰えさせたと感じられてならない。
「はたる」という古い大和言葉がある。漢字では「徴る」、「債る」などと宛てているが、「収奪」という漢語の方がその一方的な暴力的奪取のニュアンスをよく伝えてくれるように想う。
 この和語を用いて言えば、シュメル文明は「はたる」ことのみを知って、なぜに豊穣が彼らに齎されたのか、その感謝を知らない偏頗の文明であったということができる。シュメル人も神を斎き祀った。だがその信仰もまた、神々に感謝するというよりは、もっともっと恵みを与えよと神をも「はたる」行為であったように見える。バランス感覚に欠けた人々、それがシュメル人たちだった。
●私がかく感じるのも、日本の文明的伝統に養われてきたお蔭があるからである。シュメルの麦の高い収穫倍率に勝るとも劣らないわが稲作ではあるが、日本人にとって種蒔きから苗代、田植え、草取り、収穫まで、農作業の一つひとつがすべて神事であった。
 それは人が尽くす作業ではあるが、その作業が功を挙げるか否かは神の御心次第である。豊作を感謝するのは恒例の神事であったが、収穫の多きを工夫するのは人事であり、もっとたくさんの収穫を神に願うような、つまり神を「はたる」ような真似は間違ってもしなかった。素晴らしいバランス感覚ではなかろうか。
●シュメル文明が驕りゆえに亡びたと早くに気づいた人々があった。ユダヤ人である。彼らは「乳と蜜の流れる」豊饒の大地を神に与えられる約束なのに、実際はわずかな天水に頼る石ころだらけの痩せた山地で苦労しただけであった。そのユダヤ人が捕囚によってバビロンに連行されて驚いた。満々と流れる大河の辺の豊穣の大地でカナンを偲びつつユダヤ人は思った。ああ、奴隷の分際で神に挑むとはバビロンは何と不遜であることか!(つづく)