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 神の奴隷シュメル人 ─ シュメル文明の岐路 4
              (世界戦略情報「みち」平成21年(2669)7月15日第298号) 

●ユダヤ人はシュメル人をなにゆえに「奴隷」と見たのか。それはシュメル人の神観に対する批判からであった。自らもまた奴隷の境涯を何度も経験しただけにユダヤ人は「奴隷」に関する問題となると、異様に鋭敏な批判の目をもっていたように思われる。
 実際に、シュメル神話「家畜と穀物──ラハル神とアシュナン神」の語るところによると、「彼ら(神々のこと)の清き羊の群、この良きものを世話するために、人間に生命の息吹が与えられた」という。「人間は神々に代わって働くために生み出されたことになっている」のである(三笠宮崇仁監修、岡田明子・小林登志子共著『古代メソポタミアの神々』六〇頁、集英社、二〇〇〇年刊による)。
 つまり、人間は神々の奴隷である、というのがシュメル人の神観であった。天地を支配する神々と、神々が自らに代わって働かせるため生み出した人間、その間には絶対に埋められない違いと距離がある。人間の使命は神々に奉仕すること、それがシュメル人の神観であり、人間観であった。
●人間が神々のために働いて得た産物を献納するところがシュメルの神殿=ジグラトだった。人間は神々の代わりに働くため創造されたのであるから、労働の産物はまず神々のものであり、それを神々に捧げるのは当然である。産物が多く豊かであればあるほど神々は喜ばれ嘉納されるとシュメル人たちが考えたのはごく自然である。神殿=ジグラトがますます豪華になり、高く高くなっていったのも、これまた自然の勢いであったろう。
 だが、それを人間たちの驕りゆえの神々に対する挑戦だと見たのはユダヤ人である。ユダヤ人の聖典に記された「バベルの塔の物語」はシュメル文明への批判だと一般には受取られている。だが、シュメル人が両河地方において歴史の主人公の地位を占めたのは遙か千年以上も前の昔であった。ユダヤ人が果たしてシュメル人の文明を認識していたかどうか疑問である。ただし、シュメルの物語はその後の歴史舞台で主人公となったアッカドやアッシリアの物語に焼き直されて伝わっていた。だから、「バベルの塔の物語」が直接シュメルを批判するものではないとしても、アッカドやアッシリアへと伝承された神殿文明を始めとするシュメル的なるものに対する批判だとすれば、決して的外れではない。
●ただ、事はそう簡単ではない。なぜユダヤ人はジグラト建設に人間の驕りを見たのか? それには、今は詳説の余裕はないが、ユダヤ人の秘められた悲惨な歴史を考え合わせなければならない。古代エジプト一神教アテン信仰の聖都アケトアテン(アテンの地平線の意、現在のエジプトのアマルナ)から異端信仰ゆえに追放された一神教徒のコスモポリタンこそが後にユダヤ人と称する人々の中核であった。一神教の信仰ゆえに彼らは悲惨な運命を強いられた。彼らに抜きがたく染みついたのは、神に対し敬虔であればあるほど苛酷な試練を与えられるという究極的な自虐史観である。その自虐史観から見ると、シュメル文明は敬虔に神を祭りはしたが、彼らユダヤ人同様の驕りに満ちていたと見えたのだ。ならば、シュメル(現実には、ユダヤ人を捕囚したアッシリアおよびペルシア)が、早晩亡びる運命にあるのは紛れのないことだった。ユダヤ人が「バビロンの売女」と呼んだのは、シュメルの遺産の総称であった。(つづく)