みょうがの旅    索引 

                    

 いよいよ大和へ、そして吉野へ
    ── 還都への動き
 
     (世界戦略情報「みち」平成21年(2009)10月1日第302号)

●今年平成二一年九月二三日、産経新聞に大きな写真付の小さな記事が掲載された。
 (http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090923/acd0909230044000-n1.htm)
記事の見出しは、
  壮麗「大極殿」全貌現す
となっている(右の写真は上記産経新聞ホームページより)。文化庁によって復元が進められてきた平城宮の中心的建築物「平城宮第一次大極殿正殿」の素屋根(蔽い屋根)が前日二二日に撤去され、その金色の鴟尾(しび)と丹塗柱(にぬりばしら)が目にも鮮やかな大極殿の全容をヘリコプターから写真に撮ったという記事である。
 一枚の大きな写真には、その大極殿を奥側の上半分に、手前の下半分には同じく復元された朱雀門が写っている。来年平成二二年正月元旦から始まるという「平城遷都一三〇〇年祭」開幕のちょうど一〇〇日前に当たる日に全貌が明らかにされたのである。
●「平城遷都一三〇〇年祭」については来年一年限りで終わるお祭り騒ぎであり、今ここに触れる要を感じない。鳴物入りで採択された大会マスコットの「せんとくん」がてんで不人気で、地元有志から新たに「まんとくん」が提案され両者が喧嘩したとか仲直りをしたとか、どうでもよい話である。
 大事なことは、第一次大極殿を復元した文化庁の意図が何であれ、我々の前に紛れもなく祭政一致のまつりごとの場が出現したということだ。大和へ、そして吉野への還都を願う者にとって「平城宮第一次大極殿正殿」は還都への確かな象徴である。
●今上陛下は平成一九年正月歌会始において、

  務め終え 歩み速めて 帰るみち 月の光は 白く照らせり

という御製を下された。大御心を推察するのは畏れ多いことながら、御製が常に勅であることに鑑みれば、御製は大和への還都を指示されているのではなかろうか。寡聞のとても及ぶところではないが、月の光に照らされた白いみちとは、真宗関係の説法でよく引用される善導大師の「二河白道」の比喩とは関係なく、和歌の言葉で大和路のことだという。陛下は「歩み速めて」そのみちをお帰りになると御製に示されたのである。
●去る九月二八日、陛下は皇居内水田において五月にお手植えになった粳米ニホンマサリと餅米マンゲツモチの稲を刈られた。今号常夜燈にもあるように、高天原からの天孫の降臨に際して「神さまと同じ食べものを食べるように」と親心から態々持つて行くことを勅で指示されたのが「齋庭(ゆには)の穂(いなほ)」=稲なのであった。すなわち、米こそは、収穫量においても栄養価においても、また深い味とコバルト色に輝く美しいその姿においても、日本文明が育んだ究極の食物であり、磨き上げた芸術品であると言ってよい。そのために費やされたわが先祖たちの労苦がどれほどのものであろうと、米作りの中心には常に変わることなく今上さまの型示しがあったのだ。米作りはまつりごとと暮らし(日本ではそれは一つだった)の中核にあって、労苦であるとともに尽きせぬ喜びでもあったのである。
●周囲に高厦群れなす徳川千代田城の中の水田で稲刈りをされる陛下のお姿を何とも痛々しいと思うのは私だけであろうか。江戸を東京と改称し怒濤の西洋文明に抗してすでに百四十有余年、それは今上さまをあるべきみやこから拉致し、東京行宮に押し込め奉った長い年月でもある。だが、来年平成二二年は皇紀二六七〇年の大きな節目、この時に平城宮大極殿は用意された。一日も早く行宮を解き、「歩み速めて」の大和御還幸を願うばかりである。