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 文明の転換期 ─ 欺瞞の終焉に向けて 2 
             (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)1月15日第308号) 

●皇紀二六七〇年の大きな節目となる新年が始まった。わが国においても、また世界全体でも、未曽有の大変革が起こる歴史の転換点にわれわれは際会しているように思われる。
 東西対立冷戦構造に代わって登場した新たな世界戦略としての文明の衝突も米国一極覇権支配も、あるいは自由市場理論(組織詐欺掠奪正当化理論)に基づく世界金融一元化や地球温暖化危機キャンペーンなど情報操作のいずれもが、もはや自ら破綻して賞味期限切れを露呈している現状にあっては、新しい酒を盛ろうにも、ボロボロになった古い革袋では、入れた先から漏れ出してとても使えなくなっているのが実情なのである。
 しかしながら、昨日も大したことは何事もなかったし今日も大災害には見舞われなかったとすれば、多少の不安はあっても明日もまた大事なかろうと高を括って日々を送るのが人情というものだろう。
 だが、人事が極まるとき、否応なくその転換を余儀なくするのは人自身ではなく、きまって自然の猛威である。ヨーロッパにおいてナポレオンを登場させて、封建遺制を引きずる領邦国家体制から近代国家への一大転換を余儀なくしたものは、一七八三年六月八日から翌年二月七日まで実に八ヶ月もの長きにわたって続いたアイスランドのラキ火山の大噴火であった。わが国においても、浅間山の天明三年(一七八三)七月八日大噴火に始まる天変地異が明治維新へつながる一大変革を余儀なくさせたといえる。人間が作り出す政治体制や経済制度などを始めとする暮らしの仕組みの総体を文明と呼ぶとすれば、文明が自然の有り様と密接にリンクしているのは自明の理である。
●天変地異を願うなど以ての外だが、大災害の予兆は随所に現われていると覚悟しなければならないようだ。地震ひとつを例に取ってみても、三陸海岸沖にしても、東海、東南海、南海地域にしても、大規模地震が何時起きてもおかしくない危険な状況にあるという。本号「世界情報分析」の年頭挨拶にもあるように、昨年一〇月に伊勢神宮の御神木が倒壊し二見浦夫婦岩の注連縄が断ち切れたことは、単に社会事象に止まらない自然の大災害を警告する、御神意であり天意なのかも知れない。
 そんなことを考えていた矢先、一月一三日早朝(現地時間一二日夕方)に中米カリブ海に浮かぶハイチ共和国でM七・〇の大地震が勃発した。首都のポルトープランス周辺では大統領官邸や国会議事堂、ホテル、病院などの大型建造物が軒並み倒壊、一部が炎上し、多数の死傷者が出ている。数千人が生き埋めになった可能性もあるという。
●すわ、HAARPによる地震兵器の発動ではないかと疑う前に、賞味期限が切れた現代文明の諸制度に代わるのは何か、まだ命ある内に後に続く者のために必死で考えておく必要がある。一朝大災害が勃発すれば、自分だけは特別で助かるだろうと思うのは人間の浅はかさで、人間は五十歩百歩なのであり、自分だけ災害に遭わないということはありえない。災害に巻きこまれて死ぬこともありと覚悟を固めた上で、さて生きている間に何が出来るかを、とくと考えておくことだ。
 安西稿に鋭く暴き出したような時間とお金の呪縛からどのように脱却するか、そして常夜燈に言うような神格による本来の型示し=「まつりごと」に則って生きるにはどうすればよいのか、それがわれわれに問われている。