みょうがの旅    索引 

                    

 還都なる ── 新しい日本の出発  
       (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)2月1日第309号) 

●皇紀二六七〇年の年頭に行なわれた歌会始の模様はテレビで中継されたが、それを同志林廣が録画して、過日皆に見せてくれた。独特の調子で吟誦される歌を聴くと、感慨深いものがある。特に今上さまの御製と皇后さまの御歌、そして皇太子さまの御歌には、意義深いものを感じた。また、秋篠宮妃紀子さまの「かたかごの花」を詠まれた御歌も印象深い。
●もちろん、宮中儀式の意味や和歌の約束事についてまったく無知蒙昧の徒の勝手な想像だから、一笑に付されることを覚悟して言う。
 まず「木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり」という御製について、宮内庁の説明のように「吹上御苑内の小道を御散策の折、光が木々の間から差し込んでいる所には、草が青く生えている情景をご覧になって詠まれた御製である」とするのは、いかにも皮相の説明であるように思われてならない。陛下が民にお気持ちを示される機会は極めて限られている。その中でも、年頭の御製は特別の重みがあると考えるべきではないか。
 確かに、この御製は「吹上御苑内の小道を御散策の折の情景を」詠まれたものなのかも知れない。しかしながら、三年前の御製「務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり」を想い浮かべると、「務め終へ歩み速めて」お帰りになった先の情景だと受け取るのが、自然なのではなかろうか。
 三年前のお題は「月」であったが、御製には寂寞とした印象が感じられてならなかった。われわれはその御製に「大和、そして吉野へ」の還都を急がれる大御心をご推察し、それが年来の御宿願でもあることを皇后さまの御歌「年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて」の特に「年ごとに」の一句に確かめ得たのだったが、本年の御製は一転して、抑えられた調子の中にも力強さが詠まれているように感じられる。それが「草青みたり」と詠まれた勁草の姿に象徴されていよう。しかもその草は、燦々と照る陽の光を受けて茂るのではない。木漏れ日の、わずかな光に育まれてもなお勁(つよ)く生きているのだ。それはすなわち、勁く生きよと、民の上を常に気遣って下さる大御心そのものを詠まれたものだと思えてならない。
●今年もまた、その大御心に見事に唱和されたのが皇后さまの御歌である。「君とゆく道の果(は)たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし」とは、「なお」の一句に万感の思いを込めて「夕暮れ」の光はやがてそのまま朝の曙光となることを確信されているかのようである。そしてまた、三年前の御製に詠われた「帰る道……白く照らせり」の情景と「道の果たての遠白く」とが完璧なまでに感応している。今や両陛下は大和、そして吉野の白き道をゆっくり歩まれているのだと感得するばかりである。
●神格天皇のおはします「みやこ」がすでに還都したからには、政の中心としての首都の移転など二の次三の次の問題である。皇太子の御歌「雲の上(へ)に太陽(あま)の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり」に詠われたように、わが日本は旭日の勢いをもって大きく強く羽ばたくに違いない。また、日本人はその力強さをもって「西ひがしむつみかはして栄(は)えゆかん」(先帝御製)との願いを胸に、いかなる困難にも打ち勝って木漏れ日の中でも強く雄々しくあり続ける。それこそがすなわち、大御心とともにある日の本の民草の有り様であり、誇りではなかろうか。