みょうがの旅    索引 

                    

  幕府隠密間宮林蔵のこと 
    (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)3月15日第312号) 

●長田拓馬に薦められて『林蔵の貌』(集英社文庫、上下二巻)を読んだ。北方謙三の歴史小説である。林蔵とは間宮林蔵(一七八〇~一八四四)のこと。樺太と沿海州との間の間宮海峡は間宮林蔵に因んで命名された。ひたひたと迫る北方からのロシアによる脅威に対する備えと蝦夷地との交易を目論む鎖国下の幕府が北辺の調査・探検の必要を感じて派遣したのが、最上徳内や近藤重蔵、間宮林蔵らであった。
 そもそも探検とはそれ自体で命懸けの事業である。その上に、幕府の方針の度重なる変更や蝦夷地交易の独占的請負を志向する松前藩との軋轢なども加わり、北辺探検の先駆者たちの辛苦は並々ならぬものがあった。その業績は高田屋嘉兵衛など回船業者も含めて、まさに偉業というべきである。
●誰もが知っている歴史上有名な人物たちをどう描くかに作家として心血を注いでいる北方謙三がわが北辺探検家たちに注目したのも無理はない。
 北方謙三の物語でハッとさせられたのは、栗原語にいう「皇統奉公衆」を彷佛させるような「野比秀麿」なる公家侍を登場させている点である。時はまさに、「尊号一件」で揺れた徳川一一代将軍の家斉(いえなり)(在位一七八七~一八三七)の実父一橋治済(はるさだ)が権勢を握り「大御所政治」を恣にした時代であった。
 光格天皇(在位一七八〇~一八一七)が御父君閑院宮典仁(すけひと)親王(一七三三~九四)に「太上天皇」の尊号宣下を決されたにも拘らず、老中の松平(田安)定信が天皇股肱の近臣公家を処分して国体を蔑ろにした事件が「尊号一件」である。その光格天皇のご無念を一身に体して水戸藩への尊皇思想の鼓吹と次代藩主水戸斉昭の薫陶、島津重豪(しげひで)への蝦夷地交易を餌にした懐柔工作、ロシア艦隊司令官との直接交渉など縦横の暗躍をするのが野比秀麿である。その目的は御譲位された光格上皇を大坂より船で蝦夷地にお移しして北の大地に新天地を開こうというもので、壮大な構想ではあるが、日本の国体を基本的に誤解している向きがある。ただ、娯楽読物に目くじら立てるのは聊か無粋だろう。
●その壮大な公家侍野比の夢に下命によって参ずる越前三国湊の船頭伝兵衛、高田屋嘉兵衛を凌ごうという廻船商の宇梶屋惣右衛門などが次第に北辺への魅力に取り憑かれていく中で、幕府隠密という際どい立場ながら野比の夢に深い所で協力するのが、物語の主人公間宮林蔵なのである。蝦夷地の住民アイヌに学びながら骨をここに埋めようと決した若き水戸藩士狩野信平が島津重豪の送りこんだ示現流の暗殺者集団に惨殺されたことが「男たちの」結び付きをより深いものにするのは北方小説の醍醐味であろう。
●蝦夷地が北海道となり、大東亜戦争の敗北により樺太も北方四島もロシアに占領されたままになっている現状ではあるが、火山島弧のわが日本列島にとって南方の黒潮文明とともに北方のツラン文明もまた不可分の文明圏である。歴史はわずかな流れしか伝えていなくとも、先人たちの偉業の中に多くの可能性が開花せぬまま埋もれている。維新の見直しの重要な側面として、困難な北方探検に先鞭を付けた先人たちの夢の中には未来への種子が隠されている。娯楽読物ながらそんなことを考えさせた物語であった。
 因みに、間宮林蔵の貌(かお)は凍傷にかかって崩れていた。初めて林蔵に会った船頭伝兵衛には、顔が穴だらけの赤鬼が立っている、と見えた。そんな男が拓いてくれた北の天地への夢を改めて思った。