みょうがの旅    索引 

                    

  「生か死か ─ 鈴木利男書画展」に寄せて
               (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)4月1日第313号)

●鈴木利男さんの書画展が本稿末尾の案内のように開かれる。今回のテーマは「生か死か」である。鈴木さんは先の大戦で辛くも命拾いしたのを皮切りに、心筋梗塞や末期癌などの大病に見舞われながら八五歳の今日なお矍鑠としてお元気である。
 ただ、その生涯を常に死と隣り合わせに過ごしてきたからか、死を前にした日本人の思いには人一倍敏感であったようだ。
 今回の書画展はそんな鈴木さんの琴線に触れた先人たちの言霊を天衣無縫の書画宇宙に鏤めたものである。その作品には西行あり、牧水あり、山頭火あり、放哉あり、豊臣秀吉あり、行基あり、坂村真民あり、田村隆一もある。漱石や芥川龍之介、高見順もある。戦艦大和の海軍士官であった臼淵磐の言葉もある。自由奔放の選択眼が捕えた珠玉の響きである。
●鈴木さんは今回展覧予定の全作品が完成したとき内覧の機会を設けられたが、私もその末席に列なる栄に浴した。額縁に納まって立て重ねてあった作品が一つずつ箪笥に立てかけられるのだ。一枚一枚ゆっくりと観ていくうちに、臓腑の奥底に名状しがたい熱いものが湧いて溜まってくる。
 何番目だったであろうか、竹内しづの女の

孤り棲む 埋火(うづみび)の美の きはまれり

という句を描いた画と書を目の前にしたとき、その画の囲炉裏の枠に塗られた鮮烈な色彩が圧倒的な力で迫ってきた。黄色でもなく赤色でもなく、強いていえば茜色または橙色なのだろうが、やはり違う。独特の色なのである。その色で囲炉裏の大きな枠が塗られている。真ん中に小さいながら赤々と熾(おこ)った炭火がある。頂きには灰も少しだけ積もっている。この書画に添えた鈴木さんの言葉が胸に染みる。

 囲炉裏の炭火があかあかと燃えている。やがて白い灰になりはてる。果敢ないいのちそのものだ。
 夫を早く亡くし、又長男が俳人としてたのもしい一人前になった途端突然亡くなった。絶望のドン底の中に、炭火をじっと見つめたのであろう。私(鈴木)も炭火といろりのくらし二十年になる。

 そういう言霊を背景にして描かれた「茜色」の木枠と赤い炭火なのである。しづの女の句を書いた書は大勢で佇む幽霊の姿のようであるが、囲炉裏の木枠の「茜色」は悲しみも絶望もものともせず生命の躍動を表わすかのようだ。それがまた心を振るわせる。
●「念ずれば花ひらく」という言霊を響かせた坂村真民さんからは、

大木
木が美しいのは 自分の力で
立っているからだ

という詩句が引かれている。かつて私がまだ二十歳前に戦時下のヴェトナムに行くことになって死ぬかも知れないと覚悟したとき、ぜひ会っておきたいと伊予の砥部に訪ねたのが真民さんであった。懐かしい人である。
 過ぐる日、お遍路さんを始めようかという若者とその父と一緒に秩父札所の一番から四番まで巡ったことがある。その札所に真民さんの「念ずれば花ひらく」という文字があった。世間の手垢にまみれながら、凛として輝く言霊である。鈴木さんの書画も「言霊の幸ふ国」なればこその輝きに満ちている。

生か死か ── 鈴木利男書画展
時 平成二二年四月一九~二四日
所 壺中居 三階ホール
東京都中央区日本橋三八五
電話〇三(三二七一)一八三五