みょうがの旅    索引 

                    

  「第三神殿建設」は英国の中東分断工作 1
               (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)4月15日第314号)

●イスラエルにおいて「第三神殿建設」の一大キャンペーンが展開されているようである。モスクワ地下鉄テロ事件の背後にこの「第三神殿建設」との絡みがあるとの情報を本号「世界情報分析」欄で紹介しているが、そもそも、第三神殿の建設はユダヤ人の悲願ではなくして、英国による中東分断工作の秘策であったことは意外に知られていない。
 話は一八六二年に遡る。日本の暦では皇紀二五二二年、孝明天皇の御代で文久二年に当たり、維新に至る激動のさなかにあった。この年にロンドンで「クアトロ・コロナティ・ロッジ」なるフリーメーソンのロッジが旗揚げした。「四王冠」を名称とするこのロッジは、英国王室と密接な関係にあったのだ。
 ヴィクトリア女王の長男アルバート・エドワード皇太子(一八四一~一九一〇、後の英国王エドワード七世)が聖地エルサレムに巡礼して帰国した直後に「パレスティナ探査基金」(Palestine Exploration Fund = PEF)が創設され、続いてこのロッジが創立されたのだった。
●ロッジの初代グランド・マスターはチャールズ・ウォレン卿(一八四〇~一九二七)であるが、ウォレンは同時にパレスティナ探査基金の創設理事でもあった。同基金は現在も活動中で、公式サイト(http://www.pef.org.uk/)も開設している。その「経歴」欄には、一八六五月六月二二日に聖書考古学者やキリスト教関係者によって設立されたとあるが、基礎固めが終わってから世間向けに用意されたお話であろう。
 チャールズ・ウォレンは軍人だったが中東考古学の第一人者でもあった。とかく軍事活動と学問を分けたがるのは日本人の潔癖症の為せる業で、登山も発掘も探検も軍事活動の一環と考えるのが世界の、とりわけ英国の常識であった。
●チャールズ・ウォレン卿といえば、中東関連よりもロンドン連続殺人事件、すなわち「切裂きジャック事件」の際のロンドン警視庁長官として有名である。ところが、この事件こそかの皇太子とウォレンとの密接な関係を示す証拠とする説がある。スティーヴン・ナイト著『切り裂きジャック最終結論』(成甲書房、二〇〇一年刊)である。
 この本の「最終結論」によれば、一九八八年の八月から一一月にかけて、いわゆる「切裂きジャック事件」なる架空の事件をデッチ上げて世間の目を欺いたのは、英国王室の醜聞を湖塗するためだったという。つまり、皇太子の長男エディー王子と下町娘アニー・エリザアベス・クルックとのカトリック式結婚、そして二人の間に生まれた私生児アリス・マーガレット・クルックの存在は王位継承権第二位の人物(第一位は皇太子その人)にあるまじき不行跡であって、英国を揺るがす一大スキャンダルに発展して王室の安泰ひいては国家の土台を脅かしかねない危険を孕んでいると危惧されたため、首相ソールズベリー卿の指示の下に、ウォレン長官の指揮・監督によって、王室および警察関係者の手により二人の仲が引き裂かれ、事情を知る乳母メアリー・ジェイン・ケリーほか三人の売春婦と人違いで娘一人が惨殺されたのであった。
●さて、一八六七年から七〇年にかけてパレスティナ探査基金によって、「エルサレムおよび聖地探検隊」が組織され派遣されたが、その探検隊隊長となったのがチャールズ・ウォレンであった。そして、その探検の「成果」としてウォレンが著した報告書が、今日の第三神殿建設問題の火を点けたのである。