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 北方ツラン民族同胞を慰霊する碑がある 1 
             (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)5月15日第316号) 

●先号で「兵庫通信」の村上学さんに教えて頂いた「ラマ教の全ツラン民族布教」についてご紹介したが、その後またまた村上さんから懇切なお手紙を頂いた。去る四月二九日、神戸市灘区篠原北町の兵庫県護国神社において、「北方異民族慰霊祭」の主催者である扇進次郎氏から面白い話を聞いた、という内容である。村上学さんの手紙によると、兵庫県護国神社の境内にある「北方異民族慰霊碑」は、「カラフトの特務機関長をしていた中野一期生の父親が、日本の爲に尽してくれたギリヤーク人やオロッコなどがソ連によって虐殺されたことに責任を感じ、三五年前にやっと一五〇〇万円を都合して建立したもの」だという。
 村上さんの方から「ツラン民族」の話を持ち出したのだろうか、扇氏がこう言ったと書いてある。

 父親からはツランという言葉を聞いたことはないが、シベリアやロシアや沿海州ロシアの民族に蒙古斑が出る者が多いのは聞いていた。実は、それらの極東ロシア人(つまり北方ツラン民族のこと──天童註)の学者などが、ヨーロッパ系白人種と我々は別の民族で、元々のユーラシア民族だと言っていた。現在でも、このツラン民族ということで日本人と同一だという説を流せば、彼らはきっと喜んでくれるだろう。

 扇氏が「極東ロシア人」の気持ちを斟酌できるのも無理はない。村上さんによれば、

 扇家は全員が『ロシア通』であり、長女はロシア領事館通訳の経験があり、長男の仲間たちは『反共』のロシア通が多く、次男の妻は極東ロシア人です。

とある。
●村上さんのお手紙に触発されたので、ネットで調べてみた。扇氏の父親とは、樺太の敷香(しすか)に置かれた陸軍特務機関で機関長を務めたことのある扇貞雄陸軍少佐であろう。「樺太先住民族の戦争」と題する文章がある。それによれば、

 戦前から日本陸軍はソ連軍の動向を探るため、国境を接した南樺太に陸軍中野学校出身者を中心とした特務機関を設けていました。戦争が激しくなってきた一九四二年、カラフトの陸軍特務機関は先住民族の青年を召集、対ソ連の諜報活動に従事させました。日本の敗戦後、彼らは置き去りにされ、そしてソ連によって戦争犯罪人としてシベリアに送られ、多くの人が強制労働や飢えのために亡くなりました。幸い生き残った人の中には、故郷サハリンへ帰ることが叶わず、国籍もないまま日本へ引き揚げた人も多くいたようです。
 元樺太敷香(しすか)陸軍特務機関長だった扇貞雄元陸軍少佐は、シベリアに散った多くの部下を悼み、「日本のために殉じた異民族の慰霊は私がしなくて誰がする」という執念から、復員後起こした会社が倒産の危機にある中で、この慰霊碑を建立しました。兵庫県出身でない樺太先住民たちは、この神社には祀られていないと思いますが、扇氏は戦後神戸市でずっと会社を経営していましたので、この神戸護国神社に慰霊碑を建てたのでしょう。

●「北方異民族慰霊碑」を建立した父上とその遺志を継いで慰霊祭を続けている扇進次郎氏の至誠には、頭が下がる思いがする。至誠の人扇貞雄元少佐が「北方異民族」は実はわれわれ日本人と同じく「ツラン民族同胞」であることをご存じであったなら、慰霊碑の碑銘もきっと違っていたであろうにと思うと、後知恵の勝手とは思うが、同時にまた、残念な気持ちも禁じえない。(つづく)