みょうがの旅    索引 

                      

 北方ツラン民族同胞を慰霊する碑がある 3
              (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)6月15日第318号) 

●ところで、扇貞雄氏についてネットで検索すると、扇貞雄『ツンドラの鬼・樺太秘密戦中野諜報将校の手記』(扇兄弟社、一九六四年刊)という本が見つかった。何とか入手できないかと調べてみたが、一般には出回っていない。防衛省防衛研究書図書館に一冊だけ、一九八七年の第一五版が所蔵されているようである。
 さっそく村上学さんに聞いてみると、それは扇貞雄氏が「北方異民族慰霊碑」を神戸の護国神社境内に建立するための基金を募るために作った小冊子で、かつて自分も何十冊か預かって配布したことがあるとのこと。現在ではもう一冊も残っていない。探してみるが、恐らくは無理だろうという懇切なお返事を頂いた。松岡洋右のスパイとして働いたアイヌ人の和気シクルシイの『戦場の狗』と同じく、先の戦争の一端を教えてくれるのではないかと期待して、探す努力を今後も継続したいと思っている。
 扇貞雄氏は自らも苦境にありながら、かつて日本のために諜報戦の要員として働いて戦後はソ連に抑留され、ほぼ全員が抑留中に死亡した「北方異民族」のために神戸の護国神社境内に慰霊碑を建立したのだった。
●国家の無策・無慈悲を糾弾するより前に、まず自らができること、しなければならないことを行なう。それが、ごく普通の日本人の平素よりの心構えである。まして、国家の施策の一端を担った責任者として、扇貞雄氏は已むにやまれぬ気持ちから行動を起こしたのである。
 さきに私は慰霊碑の碑銘について、「北方異民族慰霊碑」ではなく、「ツラン民族同胞慰霊碑」として欲しかったと述べたが、なにゆえ神戸護国神社境内に「北方異民族慰霊碑」なのかという問題も含め、扇貞雄氏の至誠の行動の前には、すべて瑕瑾(かきん)にすぎないと見るべきであろう。
●国会で問題になったダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名=北川源太郎)はその後、資料館の建設と、慰霊碑の建立、樺太の同胞との交流を目的として「オロッコの人権と文化を守る会」を昭和五〇年に発足させた。翌年にはそれを「ウィルタ協会」と改称したが、彼の呼びかけに応え七八〇万円の募金が集まり、昭和五三年に網走市が提供した土地に、ウィルタ語で「大切な物を収める家」を意味する「ジャッカ・ドブニ」と命名した資料館が完成し、その館長に就いた。ジャッカ・ドブニにはウィルタ民族ばかりでなく、樺太アイヌ民族やニブヒ(ギリヤーク)民族の宗教用具、生活用具、衣装などの資料を収蔵・展示し、民族舞踊の実演なども行なった。
 さらに昭和五七年には網走市天都山に念願であった北方民族合同慰霊碑「キリシエ」を建立した。
 だが、その二年後の昭和五九年七月八日にダーヒンニェニ・ゲンダーヌは急逝した。生年月日は不詳だが、昭和二年の生まれとも言われるから、まだ還暦前の早すぎる死と言うべきである。
 田中了『ゲンダーヌ ── ある北方少数民族のドラマ』(現代史出版会、一九七八年刊)と、その続編に当たると思われる『サハリン北緯五〇度線 ── 続ゲンダーヌ』(草の根出版会、一九九三年刊)とはダーヒンニェニ・ゲンダーヌの口述に基づいて書かれた本のようだ。二冊の本は注文ができたので、まもなく届くであろう。楽しみである。(了)