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 北方ツラン少数民族ウィルタ人ゲンダーヌ 3
               (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)8月1日第321号) 

●学校(!)と記したのは、ウィルタにとって自然そのものが教師であり学校であって、日本で通常見られたような校舎をもつ学校に通うなどということは、前代未聞にして驚天動地の事態だった、と伝えたかったからである。
 新しもの好きの子供たちは目を輝かせ嬉々として学校に通ったが、ウィルタの大人たちは苦い目で見ていた。
 ウィルタ人たちは野生のトナカイを「シロ」と言い、シロを捕えて円形の牧柵「クレ」の中に入れて飼い馴らし、こうして飼い馴らされたトナカイを初めて「ウラー」(トナカイ)と呼ぶが、日本人の建てたオタスの森のガッコ(学校)は「クレ」と同じだと見なしたのである。トナカイをシロに囲って笞をもって飼い馴らすことはできるが、トナカイを教える(アラーウシニ)ことはできない。
 ウィルタ人にとって、教えるとは「天に恥じることのない生き方」「人(ウィルタ)として美しい生き方」を子供が気づくように手助けすることにほかならない。
 それゆえ、日本人の作ったガッコで子供たちは笞をもって飼い馴らされているだけで、ガッコには飼育(ウジイニ)はあっても教育(アラーウシニ)はないと辛辣に見たのだった。
●一方、「土人教育所」という学校を建てた日本人はどう考えていたか。

 土人の生活は太古未開時代における狩猟の状態で、魚族鳥獣を追ふて、転々其の居を移し、自然より自然に服し自ら生産する途を知らないのであるから、斯かる動物的生活から脱して人間的に生活せしめんとするは元より教育に俟たなければならない。……茲に於て幌内沿岸『オタス』に地を相して教育所を設立したのである。教育所は敷香土人教育所と称し、昭和五年三月二八日当時の土人事務所長長沢清太郎氏設立許可を受け、融雪早々地鎮祭を行なふと共に工事に着手……
(田中了/D・ゲンダーヌ共著『ゲンダーヌ──ある北方少数民族のドラマ』三四頁)

 何という傲岸さ! 何という不遜であろうか! これでは、西郷南洲が、

 文明とは、道の普く行はるゝを言へるものにして、宮室の荘厳、衣服の華美、外観の浮華を言ふに非ず。……真に文明ならば、未開の国に対しては、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己れを利するは野蛮なりという可し。

と戒しめたことを地で行く所業であった。西郷は怒濤のように流入する西洋文明の大攻勢に際し、文明を称する西洋に野蛮を看破したのであるが、「太古未開時代における狩猟の状態で、魚族鳥獣を追ふて、転々其の居を移し、自然より自然に服し自ら生産する途を知らない」ウィルタを土人と呼んで、「斯かる動物的生活から脱して人間的に生活せしめんと」した日本人こそが野蛮であったというべきである。
●ここには、西洋文明に屈服したことで日本人が何を喪ったかを教えてくれる端緒がある。そして同時に遙かなる昔に定住生活という文明に慣れたとき何を我々が喪ったかをも教えてくれるヒントがある。ツラン民族の理想とは、「天に恥じることのない生き方」「人として美しい生き方」をすることにあり、「土人」と呼んだウィルタこそ、それをずっと一貫して実践していたのだ。