みょうがの旅    索引 

                    

  北方異民族慰霊之碑を訪れた 
        (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)9月1日第322号) 

●先に、神戸の護国神社の境内には元陸軍少佐で中野学校特別第一期生の扇貞雄氏が戦後昭和五〇年に建立された「北方異民族慰霊之碑」があると紹介したが、今般同志林廣の格別の好意により旅費の提供を受けて和歌山の落合完爾氏を訪問、郷里にも帰省したのを幸いに、念願だった神戸護国神社に参拝し慰霊碑にも合掌することができた。有難いことである。
 猛暑の続く八月中旬、新幹線新大阪駅から村上学さんに電話して道順を教えてもらった。JRで行くなら京都線の大阪・宝塚方面行に乗って三宮駅の一つ手前の灘駅で降りればよい、とのことである。バスも走ってはいるが、初めての場所でもあり駅から遠くないのでタクシーに乗った方が簡単であるという懇切な教えに従い、容易に護国神社に辿り着くことができた。
●神戸護国神社は摩耶山と神戸港とを結ぶなだらかな傾斜面のちょうど中間辺り、景勝の地に位置している。バス通りから石段の参道を登ると、左手に大きな「北方異民族慰霊之碑」が立っている。先ずは本殿に参拝してから、念願の慰霊碑の前に立つ。
 わが先人たちが探検・探索した北方の樺太の地、その地に遙か昔から住んでいたウィルタ族などのツランの同胞先住民たち。そして、明治以降本格的に日本内地から移住した開拓者たち。そうした歴史のすべてが、不法にも大東亜戦争後のソ連による侵攻によってまったく塗り替えられてしまったのだ。神戸護国神社境内に立つ「北方異民族慰霊之碑」はそうした歴史の塗り替えを頑として肯んじない扇貞雄氏の抵抗精神と祖国への熱い思いの産物なのである。
●慰霊碑の右脇に建立の謂われを誌した小ぶりの記念碑がある。その碑文には、こう書いてある。

 過ぐる大戦に於て無数の白系ロシア人、ギリヤーク人、オロッコ人が中野の子等と共に理想に参画し、非情なる最後を遂げ、帰るに安住の祖国さえなき事実を知らざる者、今日余りにも多い。
 永久凍土(ツンドラ)を吹きすさぶ風に、或いは北大洋の怒濤音に、これら北方異民族の亡き同志の声を聴くものは日に日に少なくなって来ている。この碑はこれら残り少ない生き証人にかわって死の意味を問いつづける昭和の語部(かたりべ)となろう。
そしてこの碑の祈念するところは、あまりに報われることのない故北方異民族同志への鎮魂であり、盤石深く刻み込まれたものは祖国の永遠の安泰であり、平和の二文字である。
 昭和五十年五月一九日
 全国壱万参千百有余名
 建立同志会代表 扇貞雄

 この扇貞雄氏の文を読んで、改めて慰霊碑を振り仰ぐとき、決して氏の思いを消しはしないと、万感の情が湧いてくるのを覚えたのであった。
●勝者と強者とがデッチあげる歴史に何の抵抗感もなく流されるのを潔しとしないのであれば、一度神戸護国神社を訪れ、扇氏の建立された慰霊碑の前に立つのがよい。樺太はわが領土であり、かつて種々の問題を抱えながらも少数民族同胞たちと共に暮らしていた歴史が彷彿として現前するであろう。しかも、その少数民族たちは、遙かなる昔にわれわれがこの列島に住みつく以前の仲間であった人々なのである。ツラン同胞への思いを改めて強くしてくれた神戸護国神社の境内に建立された「北方異民族慰霊之碑」だった。