みょうがの旅    索引 

                    

 ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 1 
       (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)10月1日第324号) 


●本誌は限られた紙幅でもできる限り多くの内容を盛りこむために、表紙である本頁に「巻頭言」を載せるという、窮余の策を採ってからすでに久しいが、その「巻頭言」が連載となるという異例もまた本誌では恒常化し、異例でなくなった感がある。というのも、本頁の限られた紙幅では語りきれない思いが次々に湧いてくるからである。では、中の方で連載にすればよいとの意見もあるが、八頁から出発した本誌がその後、一〇頁、一二頁と頁数を増やし、現在では当初の倍の一六頁にもなっている。それでも、不世出の文明史家である栗原茂や異色の論客たる稲村公望の貴重な論考は本誌に不可欠であり、さらに安西正鷹の「お金の本質」も愈々佳境に入って独自の新境地を開拓しつつあり、「東京国際軍事裁判の実態」を書き継ぐ角田儒郎の公憤も同志一同の共通の思い、そして「常夜燈」もまたまさに闇夜を照らす灯りのような指針たりえていると自負するから、いずれも割愛するわけにはいかないのである。もちろん、藤原源太郎「世界情報分析」は本誌の要であり本誌が本誌たる所以のものである。というわけで、巻頭言の連載という異例の暴挙を、またまた始めることとは相なった。
●本稿の構想の発端は前号の安西正鷹「お金の本質」で、次のように喝破したからである。

 ……そもそも日本ではすでに銀の地金や無文銀銭が広く行き渡っていた。朝廷という公権力が保証せずともお金は何ら支障なく流通し、経済活動の円滑な運営に寄与していた。
 この便利なお金に替えてクズ同然の名目貨幣をわざわざ熱望する者がどこにいようか。これは明らかに発行者である朝廷の政治的意向による。……
 あの強大な専制国家の唐ですら躊躇したほどの法外な公定価格を、日本の朝廷は臆面もなく設定した。
 同じ土地に住み、同じ言葉を話し、同じ食べ物を口にする家族のような同胞に、なぜこれほど惨い経済的纂奪を平然と演じることができるのか。
 これはまるで、奴隷に対する主人の傍若無人なふるまいではないか。近代の西洋帝国主義列強のアジア・アフリカの植民地に対する残虐な行為を彷彿とさせる。
 神の国である日本の朝廷が、同じ血のかよったわが子のように慈しむべき民衆から骨の髄まで奪い尽すような策を採ったとは理解に苦しむ。
 だが、民衆と同じ思想や価値観を共有し得ない者のなせる業だとすれば、何の違和感もない。
 そう、これはれっきとした異民族による植民地経済支配政策の一環なのではないか。

 安西はわが国最初の通貨発行の経緯を調べている内に、それは異様な状況下で発行されたことを突き止めたのだ。「富本銭から和同開珎『銅銭』の導入に至るまでの期間とその前後の時期に、日本の歴史にとてつもない大きな断層が走っている」ことに安西は想到した。そしてそれが、「異民族による植民地経済支配政策なのではないか」とまで疑うに至ったのである
●安西の卓見に触れて咄嗟に浮かんだのは、蘇我入鹿を惨殺した宮廷の現場にいたが事情を知らされていなかった古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)が自家に逃げ帰り語った「韓人、鞍作臣を殺しつ」という言葉だ。「鞍作臣」とは入鹿だが、「韓人」とは誰か。それは明らかに、入鹿殺害の張本人の中大兄皇子である。では、なぜ彼は「韓人」と呼ばれたのか。(つづく)