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 ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 3 
       (世界戦略情報「みち」平成22年(2670)11月1日第326号) 


●この度の奄美大島を襲った大水害に見られるような自然の猛威に曝されながらも、わが日本列島が最後の氷河期の終焉とともに絶妙なる自然の造形と豊かな風土に恵まれて、神国と讃えるほかないような環境に置かれてきたことは紛れもない。だが、この列島だけで孤立して歴史を刻んできたわけでは決してない。いつの時代も常に、広くそして深く大陸や南の島々と繋がって存在してきた。
 かつて、古代史研究の世界でも日本だけの個別史観ではなく広く東アジア全体の動きと連動しているとする歴史の見方が脚光を浴びたことがあった。ただその折も、東アジア全体とは言いながら、主に朝鮮半島や支那大陸との繋がりを求める志向ばかり優位を占め、残念ながらツラン同胞たる北方の遊牧・狩猟民族や草原の騎馬民族などとの繋がりが重要視されることはなかった。●日本列島で縄文早期に始まった定住生活は確かに新たな文明への第一歩であったに違いないが、遊牧・狩猟を主たる生業とする生活が文明ではないと考えるのは僻見(へきけん)であろう。そこには、別の文明があると見なすべきである。注目すべきは、日本語の骨格たる構文(シンタックス)はすでに定住生活を始める以前に出来上がっていたという点である。それは「ツラン母語」とも呼ぶべき言語が話されていた遙かなる昔に形成されたものなのである。その北方系ツラン母語が日本列島で南方の黒潮文明と出会い、形容詞の形成法やその他の語法を採り入れてほぼ日本語の文法規則が成立する。半島や大陸からの影響も大いにあったが、その影響は文字と語彙の範囲に限られ、日本語の構文や語法を左右するまでに至っていないことは明らかである。日本語はすでに遙かなる悠久の昔に出来上がってしまった古い言語なのだ。貪欲までに新しい語彙を日本語化して採り入れるが、骨格はまったく変わらないのである。日本語の特徴として注目される擬音語・擬態語(オノマトペ)による表現もツラン母語から引き継いだクセであって、北方ツラン系の諸言語では珍しくとも何ともない。自国語の系譜に思いを致さないだけである。
●いわば自らの出自ともいうべき北方ツラン的な要素を歴史から消し去った転換点こそ、大化の改新から壬申の乱へと至る政権の混乱期にある、と私は思う。そして、その最大の問題点が、蘇我氏の痕跡をわが歴史から抹殺したことにあることを教えてくれたのが、渡辺豊和『扶桑国王蘇我一族の真実』であった。
 渡辺豊和は蘇我氏とはトルコ系騎馬民族の「高車(こうしや)」ではなかろうかとの説を提案している。結論だけを聞くと、誰しも唐突にして奇異の感を拭えないであろうが、騎馬民族の盛衰の歴史を繙いてみると、なるほどと首肯させるものがある。「騎馬民族渡来説」なるものは江上波夫『騎馬民族国家』(中公新書、昭和四二年刊)が唱えた奇説で、岡田英弘などは「完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。江上波夫が創作した、新しい神話」であると酷評しているが、源平時代から室町、戦国時代へと続く争乱は紛れもなく騎馬民族の戦いであった。日本人の血の中には騎馬民族の遺伝子が確かに流れているのだ。
●本号「常夜燈」に日蓮宗六老僧の一人日持が樺太を経てアムール川を伝い、満蒙布教に赴いた事跡を紹介しているが、内なるツラン魂の呼びかけに已むにやまれず旅立ったのであろうか?(つづく)