みょうがの旅    索引 

                    

 ツランの足跡 ─ 遙かなるツラン 
      (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)1月15日第330号) 


●想いを馳せるに、遙かなる悠久の昔よりユーラシア大陸中央を貫く草原の道を騎馬にて東西に疾駆したツランの民こそは、駱駝隊商による陸路交易の往来や船舶による海洋交易・交流にもまして、人類文明の最大の創始者かつ伝搬者であった。メルカトール図法による平面志向をひとたび離れ、地球を球として見る立体思考を授用すれば、草原の道がユーラシア大陸を東西南北に連繋する文明の大動脈であったことがたちどころに氷解するだろう。この経路をたどって、人類は文明の創始と共有を果してきたのである。
●一定地域に遺された考古学的遺物と文字に記された痕跡をもって人類文明の始まりと見る僻見からは、この文明の大動脈がすっぽり抜け落ちてしまうのは否めない。神々と直接に交信する能力を永く保持していたツランの民は文字という神への不信をまったく必要とせずむしろ軽蔑していたがために、後世の者に正確な姿を伝えなかった。漢字の発祥に関する白川静氏の洞察を手にした我々は、文字の発明が人間の神々への不信・言訳であり傲岸不遜の記念碑であることを知っている。一定地域への土着・定住が文明の第一歩であったことは認めるとしても、人類文明の創始とされるシュメル・ナイル・インダス・黄河という「局所文明」を尻目に見ながら、常に移動を専らとしつつ潤沢な各地の自然の恵みに養われ神々と共にあって縦横にユーラシア大陸を闊歩したツランの民の存在と、彼らによって担われた「広域文明」の存在を見落とすならば、人類が共に歩んできた証ともいうべき肝心・要の紐帯を無視することになり、人類は偶然に各地でバラバラに文明を発展させたのだという現在の一大偏見へと堕するほかない。
●人類文明の大動脈であった草原の道のもっとも東に位置し、ツラン文明の策源地であり司令塔ともなったのが、わが日本列島である。局所文明史観に災いされた考えでは、日本列島は極東のさらに果てにあって陸路文明と海洋文明の最終終着地点であると見られているが、ユーラシア大陸中央を結んだツラン文明の大動脈を前提にすれば、むしろ人類文明の最初の発源地であり、永きにわたる文明の司令塔でもあったことが納得されよう。そしてさらには、恵まれた自然の驚異ともいうべき日本列島は黒潮の流れにより南方海洋文明や支那大陸沿岸部と繋がり、また朝鮮半島を経由する陸路文明とも連絡しているのである。だが、歴史のある時点までは、半島経由の陸路よりも海洋の流れを利用した交流よりも草原の道による東西南北の交流こそ文明の大動脈であったことは確かであろう。
●こう考えて初めて、『梁書』扶桑国の条に誌された、罽賓国から僧五人が扶桑国にやってきて仏教を伝えたという事跡がすんなりと理解できるようになる。アレキサンダー大王の東方遠征が齎したギリシア文明もその影響から発祥した大乗仏教の仏像信仰もツランの民の共有文明資産となって東西南北に伝搬されたのである。後世の地政学的謀略による「アーリア・非アーリア言語」なる言語分類法を超克すれば、罽賓国を建てた塞族も、後にハザール帝国を建国する突厥部族も、そしてその前身とも言われる高車部族も皆共にツランの兄弟たちであったことは疑えない。さればこそ、罽賓国からやってきた塞族の僧たちは、文明の新たなる発展を報告するためはるばるとツラン文明の本部・司令塔であった日本列島の扶桑国へと訪れてきたのである。(おわり)