みょうがの旅    索引 

                      

  ローマの光とフェニキアの影 
       (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)2月15日第332号) 

●本号栗原稿「アッシリア文明史論」に「ローマの光とフェニキアの影」を対比した卓抜なる比喩が出ているが、その比喩にあるように、ローマの存在が誰の目にも明らかなのに対し、杳として謎に満ちているのがフェニキアの存在である。
 朝日新聞出身の森元哲朗のように「フェニキアはローマに敗れ塩を撒かれて亡びた」などという俗説を簡単に信じる向きには何らの問題もなかろうが、さて歴史はそれほど単純ではない。今日において米国の存在は圧倒的で「ローマの平和」(Pax Romana)ならぬ「米国の平和」(Pax Americana)を地球規模で謳歌しているやに見えながら、実は国富のほとんどをユダヤ系金融資本に操縦・簒奪され、一皮剥けば内戦の危うきにあることは、繰返し藤原源太郎「世界情報分析」の指摘するところである。米国を牛耳るユダヤ系国際金融資本の奥の院として今日まで生き延びているのはフェニキア=カルタゴの末裔たちではないかとするのが、永年にわたる私の独断・偏見である。
●三〇年もの長きに及んだエジプトのムバラク政権を退陣せしめたデモ騒動は第三次エジプト革命(第一次は一九一九年のワフド党による英国からの独立、第二次は一九五二年ナセル率いる自由将校団による王制打倒)とも言うべき様相を呈しつつあるが、先の革命でも今回の騒動でも重要な鍵を握る政治集団として「ムスリム同胞団」という名前が挙がっている。イスラム回帰を掲げる原理主義集団として注目されているようであるが、ハサン・アル=ハンナによって一九二八年に結成されたムスリム同胞団は中東の保護国状態を諦めざるを得なくなった英国が残置した争乱元凶としての楔であり懐深くに「メイド・イン・ロンドン」の烙印を秘めていたが、さすがエジプトの文明力はむしろムスリム同胞団を穏健化し今日に至っている。今回の歴史的な転換に際しても同胞団が旧主の使嗾に甘んじることなく、イランのホメイニ革命がフランスで最終的に準備され尖鋭化したような轍を踏まないことを、祈るばかりである。
●今回のエジプト騒乱がチュニジアの「ジャスミン革命」より始まった経緯から一連の騒動を「カルタゴの亡霊」の仕業かと疑う向きもあるが、今日のチュニジアはカルタゴの故地というよりはむしろ「古代ヌミディア王国」の故地と考えるのが理に叶っていよう。
 フェニキア=カルタゴ人にとって大事だったのは「ポエニの風景」と呼ばれた、港湾施設とその周辺の狭隘な居住地に限られ、先進的な農業経営は行なったものの、属州というべき広大な土地で農作業を実際に担ったのは現地のヌミディア人だった。ヌミディア人が第二次ポエニ戦争(前二一九~二〇一)でローマに与してカルタゴに叛した際にヌミディア王国を形成した。カルタゴが去ってからもヌミディアはローマの穀倉として永く属州化された。主人が替わっただけだった。
●土地への執着が皆無で領邦国家志向を欠落したフェニキア人にとって交易拠点の一つが亡びても、それは決定的な打撃とはなりえない。フェニキア=カルタゴは交易ルートを頼って世界に散り、あるいはローマに潜伏し種々の謀略を仕掛けて時を待った。ローマ壊滅の宗教謀略工作がミトラス教であり、キリスト教である。ローマが分裂し、西ローマが蛮族に蹂躙されたとき忽然と現れたのがヴェネツィアであった。エジプトの「民主化」を望むのは、そのヴェネツィアの末裔たちである。