みょうがの旅    索引 

                      

 鈴木利男「色即是空」の世界
     (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)5月1日第337号) 

●東日本大震災が勃発して暫く経ったとき、鈴木利男さんから電話を頂いた。「こんな時に展覧会を開くのはどうだろうか」と常になく弱気な言葉である。私はすかさず「こんな時だからこそ、ぜひやるべきではないですか」と申し上げた。
 大地震が来ようと津波が来ようと、むしろ自然の猛威が恐れ入って退くのではないかと思えるような、馥郁(ふくいく)たる懐かしい香気が、鈴木さんの書画にはある。書画を見る者の身過ぎ世過ぎは各人各様であっても、共に斉(ひと)しく何か言い知れぬ懐かしい気持ちになるから不思議である。
 鈴木さんは幼くして速水(はやみ)御舟(ぎよしゅう)の絵に感動し日本画家になろうと思い立つが、その夢は戦中戦後の苦難の時代の中で挫折するほかなかった。だが、八七歳になる今日も少年の夢は消えていない。むしろ絵画三昧に耽ることを禁じられてきたことが却って天稟を研ぎ澄ましたばかりか、さらには絵画のみならず人の様々な営みへの深い洞察を養ったのではないかと思う。
 そして、すでに幼き少年の日に感得した生死一如の思いこそが、遥か万葉の時代よりわが国の文芸において連綿脈々として伝え流れ来たった「霊言」(たまこと)の響きにも感応して、神国日本なればこその神韻に促され老境にして書画に現わさずにはいられなくなったのだ。
●もちろん、わが神韻の中に芭蕉の句がある。鈴木利男さんは「五月雨をあつめて早し最上川」という有名な句を「暑き日を海に入れたり最上川」の句も踏まえつつ、書と絵に描いている。
 その書は朦朧とけぶる天空より五月雨が降り下るかのようであり、左上奥より書かれた「最上川」という文字は、刻々に水量を増して流れる川そのものである。そして絵の方を観ると、太い雨脚と大河の激流の彼方に黄色い太陽が小さく描かれている。それで最上川の「最」の字の上部の「日」が、紛れもなく太陽だったのだ、と分かるのである。芭蕉の見た、大地と川と太陽の雄渾なドラマが、狭い書面と画面から溢れて飛び出さんばかりに再現されている。
 俳聖の有名な句のみならず、鈴木さんにとって子供の唄う童謡もまた神韻の響きをもつ。「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む……」という「夕日」は作詞が葛原しげる、作曲室崎琴月であるが、鈴木さんに言わせれば、「ぎんぎんという言葉には光り輝くという語りかけがある。まっかっかという言葉には太陽に向っての人間の叫び声がある。何千年にも亘って、太陽が沈む美しさを、日本人は敬虔な祈りとしてとらえてきた」という太陽讃歌の歌となる。
 その絵は暮色にやや翳る赤い太陽を、同じく赤く染まった数片の雲が仲良く取り囲んで見送るかのようである。温かい、懐かしい、美しい情景だ。
●鈴木さんの書と絵は、どれに触れても人が胸奥に秘めている懐かしい幼心を想い出させずにはいない。色即是空という厳しかるべき仏教哲理は、実は道元も「青山常運歩」と言ったように、日本人にとって豊穣の世界だったことを鈴木さんは改めて教えてくれる。