みょうがの旅    索引 

                      

   稀少資源独占の系譜 
   (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)9月15日発行第345号) 

●つい先日の九月一二日、フランスでも原発事故が起きたのではとの報道が世界を駆けめぐった。日本時間一二日夕方七時前、フランス南部マルクールの核廃棄物処理工場で爆発が発生し、一人が死亡、四人が負傷したという。当局側の発表は「事故は収束した」とか「現時点で放射能漏れはない」とか、また「原発事故ではなく、産業事故である」などと、大した事故ではないことを強調するのに懸命である。だが、事故の詳細は公表されていない。
 先の福島原発事故が起きたとき大統領まで動員して早々と来日し原発処理技術の売り込みを図った国策企業アレバ社のお膝元フランスで核施設の爆発が起きたのは、皮肉としか言いようがない。フランスの核廃棄物処理工場爆発事故の詳細がどうであれ、「原発は安全でクリーン」という謳い文句をもはや誰も信用せず、原発に対する疑心暗鬼と神経過敏とが世界中に蔓延していることをフランスの今回の事故は図らずも浮彫にしたのだった。
●フランスといえば、ポーランド出身のマーニャ・スクウォドフスカが結婚してマリ・キュリーとなり放射性元素の発見と放射能の基礎研究を行なった舞台である。
 しかし、当初フランスはキュリー夫妻の研究に冷淡で、むしろいち早く注目したのは、英国王立研究所であった。一八九八年にキュリー夫妻が発見したラジウムに皮膚病や悪性腫瘍を治療する効果があるとの報告から注目が寄せられていたのである。夫妻は一九〇三年にロンドンに招聘されて講演をする。同年のノーベル物理学賞は、キュリー夫妻と放射能を発見したアンリ・ベクレルの三人に与えられた。
 ちょうどそのころ、ロンドンおよびイタリアの両ロスチャイルド家の流れを汲むアンリ・ジェイムズ(一八七二~一九四六、ロンドン家ナサニエルとイタリア家ラウラ・テレーズとの息子)がロンドンからパリに移り放蕩生活に浸りつつも新事業に目を光らせていて、放射性元素の可能性に着目する。早速アンリはラジウム製造所を設立した。マリ・キュリーが米女性誌ディリニエターの「もっとも欲しい物は何か」という質問に「ラジウム金属一グラム」と答えたことは有名だが、一グラムのラジウムは一九二〇年当時一〇万ドルもしたと言われている。
●ロスチャイルド家がキュリー夫妻の研究に金を出したことは周知の事実で、医者の資格を持っていて病院を建てたり保健医学誌を創刊していたアンリは「放射線治療」という新分野に大きな可能性を見て取って一九二〇年には「キュリー財団」を設立しているが、稀少資源の独り占めを狙うのは、国際商業資本の、いわば本能と言うべきであろう。
 古くはフェニキアが紫染料とガラス製造法を独占して地中海交易に覇を唱えたし、フェニキアの植民都市として出発したカルタゴ(ポエニ)がイベリア半島の鉱物資源を抑えてわが世の春を謳歌したのも当然であろう。中世の基幹産業だった毛織物業における媒染剤として、またガラス製造や皮なめし業にも不可欠だったミョウバンの独占をめぐりフェニキア=カルタゴの末裔同士ヴェネツィアとジェノヴァが鎬を削ったのもこの本能の為せる業である。
 今ウランを握っているのは、その末裔たちがロンドンに一八七三年に設立したRTZ(リオ・ティント・ジンク)という会社である。因みに、その名前はフェニキア人によって開発されたイベリア半島の銅鉱山「リオ・ティント」と亜鉛とを併せたものだ。