みょうがの旅    索引 

                      

  ウラン生産企業リオ・ティント社の歴史
            (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)10月1日第346号) 

●ウランに限らず、戦略的希少金属の鉱山を多く所有しているのが、RTZである。いや、であったと言うべきか。RTZは名称を改めて、旧名のリオ・ティント社に戻って、現在は存在しない。
 世界権力中枢の重要な企業であるから時に言及するのだが、しばしば不評を招く。欧米系言語の単語の頭文字だけを組み合わせた略称は実に厄介なのである。関係者には便利なので断わりもなしに多用するのが常だが、門外漢には往々にしてちんぷんかんぷんの感を抱かせてしまう。そこで、RTZの歴史についてまとめておきたい。
 イベリア半島にあるリオ・ティント鉱山がフェニキア人によって市場経済に組みこまれたことは何度も述べているので繰り返さないが、ポエニ戦争によってフェニキア=カルタゴを破って地中海世界の覇権を手中にした領邦国家ローマの管理するところとなり、その後はイスラム教徒の手に落ちるも、レコンキスタによりイベリア半島が再びキリスト教徒側に奪回されると、新興国スペインが勃興して、リオ・ティント鉱山もスペイン国家の所有に帰することになった。
 スペインは世界各地に植民地を経営して「太陽の没することなき帝国」と謳われたのだったが、覇権国家の宿命というべきか、国家財政は常に火の車という状態だった。覇権国家スペインに取り入って内側から散々に喰いものにしたのが、ヴェネツィアとジェノヴァというフェニキア=カルタゴの末裔たちだった。
 リオ・ティント鉱山も例外ではなく、赤字経営に喘いだ。だが、ここで考えるべきは銅の国際市場価格を操作して、リオ・ティントを苦境に陥れた仕掛け人がいたはずで、結局はロスチャイルドが所有権を握ることになる。赤字続きのスペイン国営企業だったリオ・ティント鉱山を一八七三年に買収したのは、ロンドンのロスチャイルド(N・M・ロスチャイルド・アンド・サンズ)とパリのロスチャイルド(ド・ロチルド・フレールス)であった。
 ロンドンに本拠を置いたリオ・ティント社(RT)がリオ・ティント・ジンク(RTZ)となるのはむしろ最近のことであって、RTは一九六二年にオーストラリアの鉱山会社コンソリデーテッド・ジンク社の株式の過半数を取得して手中に収め、社名をRTZに改称した。その一方、オーストラリアの会社は名称をコンジンク・リオティント・オブ・オーストラリア(CRA)とした。
 ところが、一九九五年にこの両社はともにリオ・ティント社を社名として英国とオーストラリアの証券取引所に別個に登記し、RTZは旧名に復することになる。別個の会社のように登記されたが、いわばオーストラリアの方は現地法人というべきもので、経営は完全にロンドンから行なわれる。
 リオ・ティント社はウラン生産部門においてカナダのカメコとともに最大手といわれる。主なウラン生産地は、オーストラリアとアフリカのナミビアで、オーストラリアでは同国最大のウラン鉱山のレンジャー鉱山において、傘下企業に生産を行なわせている。
 因みに、リオ・ティントの二〇〇九年のウラン生産高は六四一四U3O8トンという統計がある。
 二〇〇九年七月五日、中共政府によりオーストラリアのリオ・ティント社の社員四人が産業スパイ容疑で身柄を拘束されるという事件が勃発したことがある。振り返ると、支那が本格的に資源争奪戦に参入するという意思表示がこのリオ・ティント事件だった。