みょうがの旅    索引 

                      

  正力松太郎と原発狂想曲 1 
       (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)11月15日第349号) 

●先日のNHK深夜番組で、わが国に原発がどのような経緯で導入されたかを関係者が語っている録音テープを紹介するドキュメンタリーが放送された。
 日時も番組名も、正確には記憶していないが、福島原発の建設地がもともと海抜二〇メートルの高台であったものを人工的にわざわざ海岸線近くまで掘り崩して現在の立地状況にしたということが紹介され、鮮烈な印象をもった。もしも、そのまま高台に建設されていたら、大地震によって外部電源が断たれ自動停止したとしても、津波に襲われ壊滅的な被害を蒙った挙句に原子炉が溶融して放射性廃棄物を空中に放出するという大惨事にまでは至らないで済んだはずである。
 なぜ高台を削って低くしたのかの理由として、関係者の証言は「コスト」を挙げていたが、如何なる理由も今日となってみればただ空しいだけである。
●以前に述べたように、原発を米国が押し付けたとするのは歴史的な事実に反しており、むしろ日本側が強引に欲しがったのが真実である。むろん、ほとんどの日本人は専門家なる者も含めて原発の何たるかを知らず、あれよあれよという間に何時の間にか原発が出来てしまったという感じを持ったにすぎない。
 最大の元凶は正力松太郎の総理大臣の椅子を狙った政治的野望である。そのために読売新聞という恰好の旗を振った。その旗に合わせ日本人の多くが原発狂想曲に浮かれ騒いできたのである、つい先日の三・一一事件までは。もちろん、さらに深いところには、原子力戦略という世界権力の謀略があったのは言うまでもない。
●米国大統領アイゼンハワーが原子力の平和利用に関する国連総会で有名な「平和のための原子力」という演説をぶったのが昭和二八年(一九五三)の一二月八日である。翌年三月一日にはビキニ環礁で第五福龍丸が米国の水爆実験による被曝に遭った。
 皮肉にも、そのニュースは三月一六日の読売新聞が報じている。日本全国に澎湃として原水爆禁止運動が広まって三〇〇〇万人の署名が集まった。こうした原水爆禁止運動がそのまま反米運動に直結することを親米的な日本人に洗脳することを課題としていた在日の米国情報関係者たちは危惧した。
 同じ昭和二九年の一〇月二二日付で、国務次官補ウォルター・ロバートソンから当時の駐日大使ジョージ・アリソンに宛てた書簡が端的に彼らの危惧を物語っている。曰く

 第五福龍丸事件のときの日本の世論についての君の優れた分析と日本の反米化の経過についての報告は、いずれももっと活発な心理戦プログラムが必要なこと、これまでの心理戦に欠陥があったことを指し示している。……過ちの大部分は次の二つことにあった……すなわち、D27計画はあまり的が絞れていなかった……。
(有馬哲夫『原発・正力・CIA』新潮新書、六七頁)

 しかし、彼らの対日心理戦の見直しすら杞憂となるような、原子力讃美の一大キャンペーンが読売新聞で翌昭和三〇年の正月号から始まった。すなわち、「原子力平和使節団招待」という社告をもって始まった原発狂想曲である。有馬哲夫によれば、読売が総力をあげて行なおうとしている「原子力の平和利用」啓蒙キャンペーンは、仔細に見ると、「表向き讀賣新聞・日本テレビが行なうメディア・キャンペーンのように見えながら、その実『原子力の平和利用』を公約として出馬しようとしている正力の選挙運動に他ならなかった」(同書)のである。