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 二・二六事件と近衛上奏文 2 
     (世界戦略情報「みち」平成23年(2671)12月15日第351号) 

●近衛上奏文とは、大東亜戦争の敗色濃厚となった昭和二〇年二月一四日、昭和天皇のお召しによって参内した元首相近衛文麿が上奏した意見具申書である。時局についての意見を昭和天皇から求められた重臣は、まず二月七日に平沼騏一郎、続いて九日広田弘毅、一四日近衛文麿、一九日は若槻礼次郎と牧野伸顕の両名、二三日岡田啓介、最後の二六日に東條英機という顔ぶれであった。かねてから内大臣木戸幸一に上奏の機会を斡旋するよう依頼して果たせなかった近衛は前もって上奏の内容を文書に書き上げ、それを携えて参内したのである。
●「敗戦は遺憾ながら必至なりと存候、以下此の前提の下に申し述べ候」に始まる近衛上奏文は、「国体護持の立場よりすれば、一日も速に戦争終結を講ずべきものと確信致し候」という意見を眼目とする。そして、「戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来、今日の事態まで時局を推進し来りし軍部内の、かの一味の存在」であると、断じている。満洲事変以来の戦争を推進してきた「かの一味」とは、近衛はまた「革新論者」とも呼んでいるが、いわゆる「統制派」を指していることは明らかであろう。近衛上奏とは実に、統制派を告発するものであったのだ。
●だが、統制派が戦争を推進していた、まさにその時期、国策の最高責任者として三度にわたって首相の任にあったのは他ならぬ近衛文麿その人ではないのか。そういう批判の出ることを近衛自身は当然ながら承知していた。

 不肖は、此の間三度まで大命を拝したるが、国内の相剋摩擦を避けんが為、出来るだけ、是等革新論者の主張を容れて挙国一致の実を挙げんと焦慮せる結果、彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能はざりしは、全く不明の致す所にして、何とも申訳無之、深く責任を感ずる次第に御座候。

 すなわち近衛文麿は、軍部統制派の主張の背後に日本における共産革命を狙うソ連の意図を見抜けなかった自らの不明を天皇に詫びているのである。
●例え遅ればせながらとはいえ、統制派の背後にソ連(コミンテルン)の意図を看取したその洞察において、近衛上奏文は至誠を天聴に達せんとした赤誠の表われと評価することができる。なるほど統制派を告発してはいるが、一方の皇道派を担いだ単なる派閥闘争に堕していない。冒頭に続けて、

 敗戦は我国体の瑕瑾たるべきも、英米の与論は今日までの所、国体変革とまでは、進み居らず(勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは測知し難し)随って、敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存ず、国体の護持の建前より、最も憂ふべきは、敗戦よりも、敗戦に伴ふて起る事あるべき共産革命に御座候。

と切言するのも、国体護持をもっとも大切と思うからこその言葉である。
●その後の歴史を踏まえて初めて言えることだが、近衛文麿の洞察も及ばなかった点がある。近衛がソ連よりもむしろ頼るべきだとした英米の自由主義(民主主義、市場原理主義)もまた、共産主義と同じく、人類総奴隷化を進める世界権力が発したもう一方の謀略工作であることだ。俄に登場してきた女性宮家の創設など、国体護持にとって憂うべき事態は今日もなお続いている。