十二支族考 索引 

                      

突厥・ハザール興亡史論 1 一神教徒ユダヤ人の起源
       (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年2月1日第353号)


●一神教徒エジプト追放の物語
 猛烈に嫉妬深い神を信仰したために人類史上に初めて「一神教」を発明して「ユダヤ教」を開き、そのユダヤ教からキリスト教もイスラム教も生まれたのだとユダヤ人は主張するが、ユダヤ人の信仰は別にして、歴史的な事実の示すところに照らしてみると、実は、「一神教」なるものはエジプトの歴史における突然変異ともいうべきアマルナ宗教革命の時代に、エジプト新王国の第一〇代ファラオだったアメンヘテプ四世(在位紀元前一三五八〜一三四〇)が創始した「アテン一神教」がそもそもの始まりであった。つまり、一神教なるものはユダヤ人の発明でも独占でもないのである。
 アメンヘテプ四世はアテン神に対する信仰から自ら名前を「アテンの生命」を意味するアクエンアテンと改名し、父アメンヘテプ三世の時代に「ナイルからエフラテまで」どころか「ヌビアからエフラテまで」のエジプト史上最大の広大な領土を支配し最盛期を迎えたエジプト王国の富を傾け、それまでは何もなかったナイル川中流域の東岸に光輝く太陽の都アケトアテンを建設した。夜の闇を切裂く曙光を崇めるためにこそ新たに建設されなければならなかった聖なる都市、それが「アテンの地平線」の意味をもつアケトアテンである。アクエンアテン王は太陽を神格化したアテンのみを信仰し、自らその大祭司となって、古来エジプトで永く信仰されてきたアメン神を始めとする八百万の神々を捨て去って、まったく顧みなかった。
 富があるところさらに富が集まり、人が集まり、美女もまた集まるのは古今の習いである。旧都テーベと同様に、アケトアテンは瞬く間に世界各地からやってきた大勢の外国人が住む国際都市となった。そして彼らもまた、今まで見たことも聞いたこともない新しい流行、すなわち一神教のアテン信仰に染まり始めた。
 超大国であるエジプトとの同盟を求めて各地の王国から送りこまれてきた美しい王女たちはアケトアテンで神官団を形成していたエジプトの王族たちと結婚することを期待されて来住していたのだから、自ら進んでアテン信仰の信者となった。お付きの侍女や従者たちもご主人さまに従うのが道理である。国際商人たちもアテン信仰一色に染まったアケトアテンで商売をするにはアテンの信者になるほかはない。
 それは、かつてフランス革命以後のパリが流行と文化の発信地となって憧れを集め、つい先ごろまで猫も杓子もニューヨークに行きたがったのと、変わりはない。がさつで浅薄でおよそ文化というものを何ももたない米国の暮らしぶりが「パックス・アメリカーナ」(米国覇権)の下で世界中から模倣されるモデルとなっていたのも、宜なるかな。
 そういう卑近な例に照らしてみれば、「パックス・エジプティカ」(エジプト覇権)の下では、輝く太陽の都アケトアテンは当時の古代世界において誰もが憧れる聖なる都市だったに違いない。そして、その繁栄を謳歌する国際都市アケトアテンで生まれたばかりの最新流行だった一神教アテン信仰は、古代世界に類を見ないアマルナ芸術ののびのびとした自由な気風に象徴されるように、厳粛荘重かつ煩瑣な宗教儀式を整えるにはいまだ至っていなかったから、軽薄浮薄な国際人たちの進んで信仰するところとはなったのである。
 アテン信仰一筋にのめり込んでいたアクエンアテン王は国事を一切顧みず、「神の父」すなわちファラオの父という特異な称号で呼ばれていた宰相アイにすべてを委ねていたが、盈(み)ちれば缺(か)ける習いのごとく、アケトアテンの繁栄の陰に富の聖都への一極集中と一神教の弊害によってエジプトの全土が疲弊していた。
 さらに、危機はエジプト帝国の内側で静かに進行していたばかりではなく、外側から目に見える脅威として迫ってきていた。小アジアのヒッタイト王国はスッピルリウマ王(在位紀前一三八〇ころ〜一三四〇)が即位して最盛期を迎えていて、ヒッタイト勢力がひたひたと北から忍び寄ってきてエジプトの覇権を侵しつつあった。
 こうした脅威に直面して執政官たる神父アイは病めるエジプトを救うため一大英断を下した。一神教アテン信仰の放棄と伝統的なアメン信仰への復帰である。
 そのことを端的に示すのがファラオの名前である。新王国第一〇代の王であるアメンヘテプ四世はアテン信仰によってアクエンアテンと名前を改めた。次の第一一代スメンクカーラー(在位紀前一三四二〜一三四〇)は在位の年からも分かるようにアクエンアテンの最晩年の共同統治者であったが、その名前はすでにアテン信仰による命名ではない。次の第一二代のファラオが、日本でも黄金のミイラで有名な少年王ツタンカーメン(在位紀前一三四〇〜一三三一)であるが、ツタンカーメンという簡略形をより原形にもどすと、「トゥト・アンク・アメン」となって、アメン信仰への復帰がすでに少年王の名前にも反映されていることが分かる。
 少年王を擁立してアメン信仰への復帰を監督したのが、神父アイである。おそらく、スメンクカーラー王は父王アクエンアテンが創始したアテン信仰に同情的だったために、アメン信仰に基づく王名へと改名することを拒んだのではなかろうか。八歳で擁立された少年王が自らの意志を貫くのは難しい。すべてはアイの取りはからうところに従うほかはなかったのだ。
 神父アイが決定したアテン信仰の放棄とアメン信仰への復帰は王名に反映されていて疑うべくもないが、具体的には、アテン一神教信者の国外追放と聖都アケトアテンの取り壊しとを意味した。
 アテン一神教の聖都アケトアテン、そして最盛時のエジプト帝国の首都でもあったアケトアテン、その建設と破壊は、ユダヤ伝承「創世記」の中では「バベルの塔」として描かれている。 一般に普及している日本聖書協会の『聖書』の邦訳を見てみよう。

 全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互いに言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って,人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた。「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。(創世記11・1〜9)

 ここで「主」と訳されている言葉は、アラム語の「創世記」では「アドネ・アイ」とはっきり書かれている。すなわち、一般の聖書では「アイ」を省略し、ただ「アドネ」だけを主と訳したために、何だか訳の分からない物語が出来上がってしまった。もちろん、「アドネ・アイ」とはアテン一神教を禁止して、聖都アケトアテンの破壊とアテン一神教徒のエジプトからの国外追放を命じた神父アイ、その人である。
 アイはツタンカーメンを継いでエジプト新王国第一三代のファラオ(在位紀前一三三一〜一三二六)に即位した。エジプトにおいてファラオはすなわち神である。だから、「アドネ・アイ」と呼ばれたのだ。ユダヤ人にとって、神父アイこそは、地上の楽園であった聖都アケトアテンを破壊して、楽園から彼らを追放した怒れる神であった。名前を呼ぶことさえ憚らねばならない恐怖の神ヤハウェ、ただ遠回しに曖昧に「あの方」と呼ぶしかない懼れ多い存在。それは楽園から彼らを追放して苦難の運命に委ねた、エジプト帝国の非情なる全権者たるファラオ・アイであった。
 ところで、アテン一神教の信者たちは二種類の階級に分かれていたことが「出エジプト記」から窺える。その一つは祭司や神官たちからなる特権階級で、「ヤフウド」と呼ばれていた。もともとがファラオの王子たちからなるエジプトの貴族階級であったから、アテン一神教の信仰集団においても、祭司王アクエンアテンを取り巻く特権階級の神官団を形成したのである。
 もう一つの階級は「イスラエル」と呼ばれていた。聖都における一般大衆、つまりは、その他大勢の人々である。大注釈家のラシは「多くの入り混じった群衆」(日本聖書協会訳)に注釈を付けて、「種々雑多な人々、改宗した民族の集合体」と書いた。アケトアテンに集まってきたコスモポリタンたちを指してこう言ったのである。「種々雑多な人々」と訳される言葉の原語の形は、「エレブ・ラヴ」とか「アラブ・ラヴ」などとヘブライ語で書かれているが、後に「エレブ・ラヴ」はヘブライ人を、「アラブ・レブ」がアラブ人を指す言葉となった。
 特権階級に属する神官たちも聖都からの退去を余儀なくされたが、アメン信仰に復帰してエジプトに留まる途を選んだ者が大多数だったろう。アテン一神教にあくまで固執した神官たちはその他大勢の種々雑多な人々と共に国外追放に従わねばならなかった。
 今やファラオとなった神父アイの厳命の下、後に共にファラオとなるホルエンヘブとラメスウという二人の将軍に追い立てられてアテン一神教徒たちが流されたのはエジプト勢力圏の最前線となっていたカナンの地であった。そこはかつてメソポタミヤとエジプトの両文明を結ぶ文明の通り道であり、黄金の三日月地帯などと呼ばれたこともあったが、エジプトを宗主と仰いできた土侯たちも新興ヒッタイトの庇護を求めて鞍替えする者も現れる始末で、両大国の狭間にいわば覇権の空白地帯が生まれ「ハビル」もしくは「アビル」と呼ばれる強盗略奪集団のならず者たちが猛威を振っていた。楽園の記憶を忘れられず「乳と蜜の流れる」理想の地を懐かしがっていた一神教徒たちを待っていたのは、彼ら自身がならず者集団「アビル」と見なされるという情けない境涯だった。(つづく)